約 5,388,923 件
https://w.atwiki.jp/kukoku/pages/5.html
まとめサイト作成支援ツールについて @wikiにはまとめサイト作成を支援するツールがあります。 また、 #matome_list と入力することで、注目の掲示板が一覧表示されます。 利用例)#matome_listと入力すると下記のように表示されます #matome_list
https://w.atwiki.jp/haconiwaserver/pages/6.html
Citizensの解説 様々な機能を持ったNPCを設置することができる。 日本語対応するにはopenjavaよりsunjavaのほうが相性がいいみたい。 NPCコマンド コマンド 内容 /npc npcの情報を表示 /npc age [adult, baby, integer, -l] NPCの年齢を変更adult 大人baby 子供integer 年齢を整数で設定-l 年齢を固定 /npc behaviour [scripts] (-r) NPCの動作を追加または削除 /npc controllable ? /npc copy (--name NewName) 選択しているNPCから新しいNPCを作成 /npc create [NPC Name] (--type [type]) 新しいNPCを作成 /npc despawn (id) NPCをディスポーン /npc gamemode [gamemode] プレイヤー、NPCのゲームモードを設定 /npc gravity NPC上の重力を切り替え? /npc rename [NPC NewName] 選択しているNPCの名前を変更 管理者コマンド コマンド 内容 /citizens プラグイン情報を表示 /citizens reload Citizensを再読込 /citizens save NPCとconfigを保存 Sentryの解説 /npc create [NPC Name] --trait sentryでNPCを作成。 NPCの移動ルートを設定。/npc pathの後に左クリックでポイントを指定、右クリックで削除。 /sentry target add [category type]で攻撃対処を設定。 NPCの装備を設定。/npc equipの後に渡すアイテムを持ってNPCを右クリック。
https://w.atwiki.jp/minecraft_un/pages/21.html
ここは国の作り方で使う画像保存庫です。 まず、上のバーにある「編集>このページにファイルをアップロード」をクリックし、そのページに国旗の画像ファイルをアップロードします。 できたらこのページにいったん戻って、スクロールし、このページの一番下に行きます。 「添付ファイル」の下にある、さっきアップロードした、ファイル名を右クリックし、「リンクのアドレスをコピー」をします。 マイクラ国連データ>加盟国一覧に行き、「編集>ページ編集」をクリック。 下のように打ち込むと画像が表示されます。 ref((画像のリンクのアドレス,,height=縦の大きさ,width=横の大きさ))
https://w.atwiki.jp/9991213/pages/3.html
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https://w.atwiki.jp/maikuragunzibu/pages/846.html
軍事部ページでの編集に使用できる様々な構文を掲示しています。基本的にアットウィキモード、他のモードのものには記載をしています。 ページ編集の仕方の補足となる部分もあります。こちらも目を通していただけると幸いです。 文字などの装飾色と文字サイズの同時変更 サイト内のリンクの作成 注釈・脚注 特別な動作をするものカウンター 流れる文字 表軍の概要(Pukiwiki版) 並び替えのできる表 国家の概要 歴史的なもの(過去の王朝など) 装備品紹介 #1 装備品紹介 #2 要望用コメント欄 工事中です 文字などの装飾 強調させたり隠し文を作ったり、使い方はいろいろです。 色と文字サイズの同時変更 ページ中の文字の色およびサイズを同時に変更します。ここは強調したい、色も付けておきたいというときに便利です。 サイズを25に、文字色を赤色に変更したサンプル 記述; size(25){ color(#ff0000){サイズを25に、文字色を赤色に変更したサンプル}} サイト内のリンクの作成 同盟を結んでいる国家様のリンクを作りたいときなどに使えます。いちいちwiki内を探してURLを引っ張って来る必要性はもうございません。 wiki内に「サンプル」の名前のページがあるとき サンプル 記述; [[サンプル]] wiki内に「ソビエト連邦」というページがあるけど、文中では「ソ連」と表示したいとき(表示する文章とページ名が合わないとき) ソ連 記述; [[ソ連 ソビエト連邦]] 同じページの「特定の位置」に移動するようなリンクが欲しいとき ここが「特定の位置」 「特定の位置」へのリンク 記述・解説; aname(A,option=nolink){ここが「特定の位置」} この文章がある場所が「到着地点」です。「特定の位置」を「A」としています。中括弧で囲まれた部分は表示時に出力される文章です。「A」の部分は半角英数字であるならばどんなものにでも変更可能です。 link_anchor(A){「特定の位置」へのリンク} このリンクがある場所が「出発地点」です。「特定の位置」、つまり「A」へのリンクを作っています。中括弧で囲まれた部分は表示時に出力される文章です。 異なるページの「特定の位置」に移動するようなリンクが欲しいとき 異なるページに「特定の位置」を設置する 「特定の位置」へのリンク 記述・解説; aname(C,option=nolink){異なるページに「特定の位置」を設置する} 「特定の位置」を「C」としています。「C」の部分は半角英数字であるならばどんなものにでも変更可能です。この文章は到着地点、つまり異なるページに置いておきたいので、下記の「 link_anchor」とは異なるページに記述してください。 link_anchor(C){「特定の位置」へのリンク} このリンクが出発地点なので、「特定の位置」つまり「C」へのリンクを作っています。 注釈・脚注 補足したい内容があるけど本文に載せるほどでもない…というときに使います。重ねて使うこともできます。 footnote サンプル(*1)(*2) 記述; footnote(サンプル注釈1) 既に作成してある注釈へのリンクを作りたいとき 既に作成してある注釈の番号(1以上の半角数字)を中括弧のパラメーターで指定します。 「サンプル注釈1」への注釈→(*1) 記述; footnote(){1} お手軽バージョン 文章を二重の半角のカッコで囲うことでfootnoteを使わずに注釈を作れます。ただしこっちは同じ注釈を使いまわすことはできません。 サンプル(*3) 記述; ((サンプル3)) 特別な動作をするもの カウンター 特定の「何か」から、どれだけ日付が経ったか/どれだけ人が来たかなどを数えてくれます。 建国カウンター(建国から何日?) 建国から1836日経過しています 記述・解説; countup(2019/2/15,d) ()内の日程は建国時の日付を指定します。 訪問者数(どれくらい人が来た?) 訪問者: - 人 本日来訪の外交官: - 人 昨日来訪の外交官: - 人 記述・解説; 訪問者: counter(total)人 本日来訪の外交官: counter(today) 人 昨日来訪の外交官: counter(yesterday)人 ()内には、total(これまでの合計)、today(今日来た数)、yesterday(昨日来た数)を指定します。 から)の部分はそのまま数字となるので、単位を付けたいときは上記のようにカウンターの後に「人」「名」などを付ける必要があります。 流れる文字 【非常事態レベル】A 【ニュース1】細かい詳細 【ニュース2】も細かい詳細 背景を黒くしてみたり 記述; #marquee(【非常事態レベル】A 【ニュース1】細かい詳細 【ニュース2】も細かい詳細,size=18,bgcolor=#ffffff,color=#ff8c00) ----- #marquee(背景を黒くしてみたり,size=13,bgcolor=#000000,color=#ffffff) 表 国家のあれこれを文章で説明するのが面倒だったり難しい場合には、表を作って情報を整理しましょう。 軍の概要(Pukiwiki版) 表示例(日本・航空自衛隊); + コピペ用 |BGCOLOR(#f8f8f8) 130|BGCOLOR(#f8f8f8) 130|c | |CENTER BGCOLOR(#b0c4de) bold(){組織名 br;組織英名}| |CENTER bold(){軍旗}|CENTER bold(){国籍表示}| |CENTER #image(軍旗画像のURL,width=xxxpx)|CENTER #image(国籍マーク画像のURL,width=xxxpx)| | bold(){創設}|xxxx年| | bold(){国籍}| image(国旗画像のURL,width=28px,float,left) 国名| | bold(){軍種}|陸軍/海軍/空軍/宇宙軍/海兵隊/沿岸警備隊| | bold(){上級機関}|xxx省| | bold(){別称}|略称や別名など| | bold(){所在地}|本部基地| | bold(){司令官}|なまえ| 並び替えのできる表 表の直下に「#table_sorter()」を記述することで表の並び替えができます。ただしセルの結合などをすると上手く動作しなくなる恐れがあります。 表示例; 予算優先順位 軍種 理由 1 陸軍 陸軍国家だから。陸軍つよいさいきょう 2 海軍 やっぱり大艦巨砲主義は男のロマンだよね 3 海兵隊 敵地へ乗り込めー^^する軍は必要 4 空軍 ロクに作ってないからです… + コピペ用 |BGCOLOR(#white) ~予算優先順位|CENTER BGCOLOR(#white) ~軍種|CENTER BGCOLOR(#white) ~理由|h |1|陸軍|陸軍国家だから。陸軍つよいさいきょう| |2|海軍|やっぱり大艦巨砲主義は男のロマンだよね| |3|海兵隊|敵地へ乗り込めー^^する軍は必要| |4|空軍|ロクに作ってないからです…| #table_sorter() 国家の概要 表示例(日本); 国名 日本Japan国旗 国章 略号 日本 天皇 徳仁 政治体制 自由民主主義 公用語 日本語 宗教 仏教・神道・ほか多数 首都 東京都 人口 約○○人 通貨 円 国家予算 ○○○○円 twitter Twitterリンク + コピペ用 | |BGCOLOR(#f6b26b) ~ color(#f3f3f3){国名}|h | |自国名 br()英語国名|h |BGCOLOR(#f6b26b) ~ color(#f3f3f3){国旗}|BGCOLOR(#f6b26b) ~ color(#f3f3f3){国章}|h | image(国旗のURL,width=画像の幅)|~ image(国章のURL,height=画像の高さ)|h |BGCOLOR(#f6b26b) ~ color(#f3f3f3){略号}|略号| |BGCOLOR(#f6b26b) ~ color(#f3f3f3){国王}|国家元首名| |BGCOLOR(#f6b26b) ~ color(#f3f3f3){政治体制}|○○制/○○主義| |BGCOLOR(#f6b26b) ~ color(#f3f3f3){公用語}|○○語| |BGCOLOR(#f6b26b) ~ color(#f3f3f3){宗教}|何々教| |BGCOLOR(#f6b26b) ~ color(#f3f3f3){首都}|都市名| |BGCOLOR(#f6b26b) ~ color(#f3f3f3){人口}|約○○人| |BGCOLOR(#f6b26b) ~ color(#f3f3f3){通貨}|自国の通貨| |BGCOLOR(#f6b26b) ~ color(#f3f3f3){国家予算}|○○○○通貨名 等| |BGCOLOR(#f6b26b) ~ color(#f3f3f3){twitter}|Twitterリンク| 歴史的なもの(過去の王朝など) 自国の歴史項目を書くときに役立つかもしれません。 表示例(中国・唐); 唐朝 Tang dynasty 首都 長安、洛陽 公用語 中古漢語 皇帝 618年 - 626年 高祖 904年 - 907年 哀帝 建国 618年 通貨 銅貨ほか 国姓 李 + @wiki版 コピペ用 | |CENTER BGCOLOR(#b0c4de) sizex(15){''唐朝''} br() bold(){Tang dynasty}| | bold(){首都}|長安、洛陽| | bold(){公用語}|中古漢語| | | bold(){皇帝}| |618年 - 626年|高祖| |904年 - 907年|哀帝| | bold(){建国}|618年| | bold(){通貨}|銅貨ほか| | bold(){国姓}|李| + Pukiwiki版 コピペ用 | |CENTER BGCOLOR(#b0c4de) size(15){''唐朝''} br()''Tang dynasty''| | bold(){首都}|長安、洛陽| | bold(){公用語}|中古漢語| | | bold(){皇帝}| |618年 - 626年|高祖| |904年 - 907年|哀帝| | bold(){建国}|618年| | bold(){通貨}|銅貨ほか| | bold(){国姓}|李| 装備品紹介 #1 艦艇や戦車の紹介に使えます。PC版表示に向いています。 #div(width=指定したい幅を入力px){ |幅を指定|したい表| } divプラグインで幅を固定すると見やすくなります。上の表のように使います。 ここに艦種を入力:BB ここに艦名を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 諸元 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 同型艦 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか + @wiki版 コピペ用 | | | | |CENTER BGCOLOR(#305592) color(#FFFFFF){ bold(){ここに艦種を入力:BB}}| | | | | |CENTER BGCOLOR(#757575) color(#FFFFFF){ bold(){ここに艦名を入力}}| | image(NO_IMAGE2.webp,width=450)| | | | | |~| | | |LEFT nobold(){ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力}| | image(NO_IMAGE2.webp,width=450)| | | | | |~| | | |CENTER BGCOLOR(#757575) color(#FFFFFF){ bold(){諸元}}| |~|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか| |~|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか| |~|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか| |~| | | |CENTER BGCOLOR(#757575) color(#FFFFFF){ bold(){同型艦}}| |~|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか| |~|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか| |~|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか| + Pukiwiki版 コピペ用 準備中 装備品紹介 #2 艦艇や戦車の紹介に使えます。PC版表示に向いています。 #div(width=指定したい幅を入力px){ |幅を指定|したい表| } divプラグインで幅を固定すると見やすくなります。上の表のように使います。 ここに艦種を入力:BB ここに艦名を入力 諸元 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 同型艦 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 + @wiki版 コピペ用 | | | | |CENTER BGCOLOR(#757575) color(#FFFFFF){ bold(){ここに艦種を入力:BB}}| | | | | |CENTER BGCOLOR(#757575) color(#FFFFFF){ bold(){ここに艦名を入力}}| | image(NO_IMAGE2.webp,width=450)| | | | | |~| | | |CENTER BGCOLOR(#757575) color(#FFFFFF){ bold(){諸元}}| |~|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか| |~|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか| |~|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか| |~| | | |CENTER BGCOLOR(#757575) color(#FFFFFF){ bold(){同型艦}}| |~|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか| |~|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか| |~|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか|LEFT BGCOLOR(#9e9e9e) color(#ffffff){ bold(){装備名とか}}|装備数とか| | | | | |LEFT nobold(){ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力}| + Pukiwiki版 コピペ用 準備中 + 装備品紹介#1と#2はつなげられます。 ここに艦種を入力:BB ここに艦名を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 諸元 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 同型艦 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか ここに艦種を入力:BB ここに艦名を入力 諸元 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 同型艦 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか 装備名とか 装備数とか ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 ここに説明文を入力 要望用コメント欄 あったらいいな、できたらいいなという機能があったらこのコメントにてどうぞ。何とかして対応します。 名前 コメント メニュー 【運営からのお知らせ】 投票の結果、Erwin(ID sorcerer0823)、かてぃなく(ID katinak178)、今村 菜月(ID anzemc)、新ソ連(ID Yamato)が信任過半数となりましたので次期(2024/2/28~2025/2/27)管理グループメンバーとなります。(24/02/24) メニュー 2024-02-25 19 59 27 (Sun) 【運営からのお知らせ】 投票の結果、Erwin(ID sorcerer0823)、かてぃなく(ID katinak178)、今村 菜月(ID anzemc)、新ソ連(ID Yamato)が信任過半数となりましたので次期(2024/2/28~2025/2/27)管理グループメンバーとなります。(24/02/24) ページ検索 and or 基本事項 トップページ Minecraft軍事部とは minecraft軍事部への参加方法利用規約 アカウント申請について wikiで自分のページを作るには 軍事部辞典 よくある質問 重要 ページアイコン募集 画像が表示されない問題について メインコンテンツ 活動に必要な基本情報がまとめられています。 軍事部データ 国家一覧 組織一覧 同盟一覧 軍事テクニック 世界地図世界地図利用規約 世界地図諸申請 統一暦と歴史 作品公開所 撮影用ワールド共有ページ 外交・企画 活動、交流、ページ作成に必要な情報がまとめられています。 外交 外交用ページ 質問・雑談 建国宣言ページ作成方法 ページ編集の仕方 新規国家テンプレート 新規国家テンプレート(発展) 軍事部@wiki構文 砂場 砂場(pukiwikiモード) 企画 企画について 茶番企画委員会について 茶番企画委員会規約 企画(茶番)のルール 過去企画 茶番テンプレート 合同企画 マルチサーバー realmsサーバー 共通悪企画 ヴィラン共和国連邦 艦艇共同作成企画 Co-p社 個人企画 VG・FRE戦争 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第四次欧州大戦 この項目では第四次欧州大戦について説明しています。そのほかの企画については過去企画を参照してください。 この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(148年3月) System=例 yasaiシナリオ 戦争(第四次欧州大戦、英 Europe Great War 4th、???年 - ???年)神聖ローマ皇帝兼フランス王エリックによる強制徴募法の施行を契機に、反対する神聖ローマ帝国諸侯と反仏の外国勢力とが結びついた対仏大同盟とフランスおよび同盟国との戦争である。 第四次欧州大戦 目次[非表示] 1. 概要 2. 背景 2-1. 2-2. 3. 開戦 4. 開戦後の経緯 4-1. 4-2. 4-3. 4-4. 4-5. 5. 終戦と講和 6. 影響 7. 関連項目 8. 参考文献 主要戦闘 講和会議 戦争 戦争 年月日 1000年10月10日 - 1000年10月10日 場所 フランス、ドイツ、イタリア等 結果 - 交戦勢力(第一次対仏大同盟) スミトラント王国 フランス王国 アイゼルネ=アルギニア国 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 デンマーク王国(npc) ライン=アルギニア同盟 ハプスブルク帝国 スウェーデン王国(npc) ザーティエラ王国 アストリア聖国 交戦勢力(第二次対仏大同盟) トラキア・ローマ帝国 フランス王国 モレラ共和国 アナトリア王国 スミトラント朝ボヘミア スミトラント王国 ハプスブルク帝国 ライン=アルギニア同盟 ザーティエラ王国 プジェミスル朝ポーランド アストリア聖国 安勢国 凸合衆国 交戦勢力(第三次対仏大同盟) Holy Nation フランス王国 トラキア・ローマ帝国 アナトリア王国 モレラ共和国 プジェミスル朝ポーランド ザーティエラ王国 スミトラント王国 ハプスブルク帝国 アストリア聖国 安勢国 凸合衆国 交戦勢力(ロシア遠征) ユークバニア連邦共和国 フランス王国 シランナ社会主義連邦共和国 プジェミスル朝チェキア王国 月ノ谷共和国連邦 ヴィリニュス公国 ローゼノワール王国 交戦勢力(第四次対仏大同盟) スミトラント=スウェーデン フランス王国 アイゼルネ=アルギニア国 アナトリア王国 ライン=アルギニア同盟 ヴァルキア王国 Holy Nation アストリア聖国 安勢国 トラキア・ローマ帝国 モレラ共和国 プジェミスル朝チェキア王国 ヴィリニュス公国 ローゼノワール王国 シランナ社会主義共和国 ユークバニア連邦共和国 月ノ谷連邦共和国 凸合衆国 交戦勢力(第五次対仏大同盟) スミトラント=スウェーデン フランス王国 アイゼルネ=アルギニア国 アナトリア王国 ライン=アルギニア同盟 ザーティエラ王国 ヴァルキア王国 Holy Nation アストリア聖国 安勢国 トラキア・ローマ帝国 モレラ共和国 プジェミスル朝チェキア王国 ヴィリニュス公国 ローゼノワール王国 シランナ社会主義共和国 ユークバニア連邦共和国 月ノ谷連邦共和国 凸合衆国 概要 見出し本文 画像の説明 背景 強制徴募法の施行44年から147年にかけて争われたレグルス戦争における北海海戦、また十仏戦争における日本海海戦に見られるように、フランス海軍の弱体ぶりは明らかであった。フランス王にして神聖ローマ皇帝エリックの勅命でフランス海軍は改革が始まり、その指導者として、同盟国クラフタリアからシフエンテス提督が招かれた。しかし、フランスの体質として、武力で無理やりまとめ上げた不安定な帝国にあって、常に陸軍力の優位を維持するため、自国のリソースを海軍力に割り振ることを嫌い、特に不足している水兵の新規徴兵についてフランス国内での許可が出なかった。途方に暮れ酒浸りとなったシフエンテスに対し、同僚となったフランス地中海艦隊の"死神"コルーメディ提督が助言を与えた。曰くフランス海軍の人員不足は伝統であり、ときには港の住民を拉致同然で船に乗せてしまうこともあるという。これとアルコールが化学反応を起こし、後に大戦の契機となる強制徴募法の素案が完成した。これは"神聖ローマ帝国内"で、皇帝が水兵を強制的に徴兵できる権利を定めたものであった。シフエンテスの上奏をうけ、皇帝エリックはこれを名案と、視察先の復興中のブレストから「ブレスト勅令」として帝国全土へ発した。この一方的かつ無茶苦茶な法令に対し、諸侯では当然反発が起こったが、仇敵レグルスを下したフランスは当時絶頂期にあり、反抗することはできなかった。かくしてブレスト勅令は施行され、帝国諸侯各国での"フランス海軍への"徴兵が、フランス役人の手で開始された。 画像の説明 第二回帝国会議徴兵はまずラインや北イタリアなどフランスに近いところから始まったが、徴兵逃れや下請け現地人のサボタージュなどが多発し、補うように地域が拡大していった。遂には内陸国のボヘミア王国にまで及び、ここで事件が起こった。スミトラント王国と同君連合を形成するボヘミア王国では、かつて第三次欧州大戦の契機ともなったプラハ窓外投擲事件にみられるように反フランスの総本山とも言え、強制徴募法への反発も最も凄まじい地域であり、スミトラント王フリードリヒ=アウグストも公然とこれを支持していた。000年00月、フランスの徴募官がプラハに到着し、あまつさえ市庁舎の一角にオフィスを構えたため、徴募官一行は怒ったプラハ市議に捕まり、窓外に投げ落とされた。第三次プラハ窓外投擲事件である。この事件を契機に帝国全土で反強制徴募法の機運が広がり、反乱寸前となった。皇帝エリックはフリードリヒ=アウグストに犯行に加担した市議の逮捕を命じたが、フリードリヒ=アウグストは帝国全土に適応される法案は先ず帝国議会で議決すべきと当たり前の反論を行った。議会の開催は爆発寸前の反強制徴募法運動を鎮める為にも必須となり、エリック帝はしぶしぶアーヘンに全諸侯を呼び寄せた。第二回帝国会議の開催である。 r会議では勿論大半の諸侯は反対したが、多数決で決定される議会において、諸侯のほとんどは事実上フランスの属国状態であり、フランスは各国へ圧力をかけ議決を強行した。これは完全に第三次欧州大戦前夜の前会議の再演であり、フリードリヒ=アウグストが「帝国の否定につながる茶番である」と述べたように、諸侯の不満は頂点に達した。それでもエリック帝は、二度にわたり完膚なきまでに叩きのめしたスミトラントが立ち上がるとは考えていなかった。支援者となり得るビュザンティウム連合の勢力がレグルス戦争によって国土が荒廃し戦争ができる状態でなかったことも影響した。しかし、前回と異なり豊かなボヘミア王国を手に入れたことで、スミトラントの国力は完全に回復していた。なによりかの若き王は、後に"不屈王"と称され、エリック帝と並び立つ程の名声を歴史に残すことになる英傑であった。 画像の説明 開戦 プラハの密約と対仏大同盟スミトラント王フリードリヒ=アウグストはフランスへ反旗を翻す決心を固めた。世界帝国への野望を持つ彼は、神聖ローマ帝冠は再びドイツ人の下に帰るべきだと考えていたし、追放された敬愛する父の仇を討ちたいと思っていた。旧知の中である、かつて第一次プラハ窓外投擲事件加担の疑いでフランスに逮捕されていた元プラハ市議ヨーゼフ・ベルクマンが釈放されると、彼を密偵頭として雇い、反フランス諸侯や周辺国へのネットワークを構築させた。アイゼルネ=ライン同盟諸侯は事実上フランスの属国状態で反仏感情も強く、フランスに近い諸侯ほど苛烈な徴募が行われたため、諸侯の中にはフランスから離反するものも現れた。彼らはアイゼルネ=アルギニアへの再統合を望み、アイゼルネ=アルギニア国は要請を受け立ち上がった。ロイターやグレービナなどスミトラント国境の諸侯はむしろスミトラントの保護を求めスミトラントに同調し、帝国外ではかつてフランスに領土を奪ザーティエラが応えた。問題の領土であるバスクはフランス直轄領とされていたが、高度な自治が認められてはいた。しかし、今回はそれによって元々徴兵が課されていなかったことで強制徴募法の対象となり、分離運動が盛んになっており、奪還の機会と見た。また、第三次欧州大戦に乗り遅れ神聖ローマ帝国の復活から外されたハプスブルク帝国は、自身こそが帝位に相応しいと考えていたし、イタリアへの野心からも参加した。スウェーデン王国はフランスの保護国となっていたデンマークを奪取せんとスミトラントと同盟を結んだ。こうして反仏諸国はプラハ市庁舎の地下に作られた秘密会議場を拠点に組織化され、対仏大同盟を結成した。さらにパナマ問題でフランス王と対立している、フランス最大の諸侯ブルゴーニュの公爵"常裸公"シャルルが、フランス王への対抗勢力を求め同盟に参加した。対仏大同盟諸国は、仮想的フランスの弱体化を狙うブリテン島のアストリア聖国の資金援助の下で着々と戦争準備を進めた。しかし、ブルゴーニュ公は酔っぱらって計画を言いふらし、アストリアからブルゴーニュへの金の動きもフランス警察大臣フーリアンによって露見してしまう。エリック帝は対仏大同盟の可能性に気づいた。大同盟諸国は止む無く慌てて戦時体制に移行し、いよいよ戦争が迫った。148年、フランスは対仏大同盟諸国に対し宣戦布告した。大陸軍はライン川を越え、後に第四次欧州大戦と称される長い長い戦争が幕をあけた。 画像の説明 開戦後の経緯 開戦エリック帝の大陸軍は、前回のように副戦線を抑えつつ、主力で以て電撃的にドイツへ進軍しこれを撃破、返す刀で他勢力を撃破するという戦略を取り、ドイツ連合軍の合流前にこれを撃破せんと中間地点のハノーファーへ進軍した。この機動速度は圧倒的で、アイゼルネ=アルギニア軍は身動きする間もなく集結地点ブラウンシュヴァイクで包囲され降伏した。さらにこれを知らず合流しようと進軍したスミトラント主力の第1軍はブラウンシュヴァイクで大陸軍の大軍と遭遇し敗走、マクデブルクに逃げ込みウダンクール元帥に包囲された。その間に第2軍、第3軍もそれぞれ撃破され、大陸軍はメクレンブルク、ライプツィヒを占領し、ベルリンは地理的に包囲されスミトラントは瞬く間に敗戦寸前となった。オーストリアもミュンヘン、ニュルンベルクを占領し北上したが、ブラウンシュヴァイクの戦い後に南へ転進した大陸軍とイェナで戦い、これに敗れ南ドイツへ後退、追撃を受け本土へ追いやられた。その後オルデンブルクやベルク公国も降伏し、フランスは勝利目前に迫った。ベルリンに迫る大陸軍に対し、フリードリヒ=アウグストは市民の請願を受けて脱出しプラハへ逃れ、敗走した第2、第3軍を再編し再起を図った。エリック帝はプラハ進軍のためベルリンで軍を再編していたが、ここで誤算が起こった。ブルゴーニュ戦線を任せた皇太子クリスチャンがバーゼルの戦いでブルゴーニュ=オーストリア連合軍に完敗し、補佐に付けたクレティエ元帥も戦死したという。老練なシャルル公は若いクリスチャンを巧みに山岳へ誘い込みボコボコにし、これを受けてオーストリア軍はフランス領ロレーヌへ侵攻、ナンシーの戦いでブルゴーニュ公軍と共にクリスチャンを破った。フランス本土が脅かされ、止む無くエリック帝は主力を率い転進、ブルゴーニュ征伐へ向かい、プラハ進軍は中止された。ブルゴーニュ公シャルルは大陸軍が迫ると、再び山岳に引っ込みオーストリア軍の到着まで時間を稼ごうとしたが、エリックは親衛隊を投入し、冬季にも関わらずアティサーリ将軍、小ジデンローヴ将軍らの活躍でミュルーズとスイスのオフトリンデンでブルゴーニュ軍を壊滅させた。オーストリア軍は慌てて踵を返したが、ライン川も目前のロルシャッハで追いつかれ大損害を出し敗走した。バスク戦線は特に進展はなかった。エリック帝はミュルーズの戦いの後パリへ帰還していたが、ベルリンの守備に残したブランシェ元帥が略奪に奔走していると知らされ、急ぎベルリンへ戻った。 画像の説明 フランスの勝利ブランシェを更迭し再びプラハ進軍を計画したが、そのころにはスミトラント軍はアストリアの資金援助によりズデーテンに強固な防衛線を建設していた。これにはウダンクール元帥、リュッシュモン元帥などが攻略を命じられたが、スミトラントの名将シュヴェリーン公によってこれらの攻撃は跳ね返されていた。エリック帝はアストリアを黙らせる必要があると、対ザーティエラへスペイン沖へ出撃させていた地中海と大西洋の艦隊を呼び戻し決戦を挑んだが、トラファルガーで大敗を喫してしまった。この頃痔の悪化で弱っていたエリック帝は失意し、ベルリンの破壊でフリードリヒ=アウグストを脅し上げ屈服させようとした。しかしベルリンの窮状と降伏勧告を伝えに行ったその使節はプラハで窓外投擲されたため、ベルリンをしこたま略奪した後に議会を占領し、フリードリヒ=アウグストの廃位を議決させ傀儡のハインリヒ11世を立て講和を結ぶという姑息な手段を使った。とはいえ中心であったスミトラントが落ちたことで同盟の経戦意欲は下がり、ドイツ諸侯は屈服した。その後大陸軍はスウェーデンが占領していたユトランド半島へ侵攻しこれを撃退したが、海峡は強力なアストリア海軍が阻んでおり、ストックホルムの攻略は不可能と思われた。しかし、この年記録的な寒さでベルト海峡が凍結した。エリック帝は自ら先頭で氷上を渡りマルメーを攻略した。この戦いでスウェーデン王太子が戦死してしまい、スウェーデンは降伏した。この遠征でいよいよエリック帝は痔の悪化が深刻なものとなった。オーストリアはロルシャッハの戦い後に追撃していたシェイフスキ元帥をインスブルックで撃退したが、スミトラントが脱落しフランス主力がオーストリア国境に迫ると休戦を申し入れ、エリック帝はこれを受け入れた。戦線がバスクから動かなかったザーティエラも休戦に合意し、第一次対仏大同盟との戦争はボヘミアを除き集結、同盟は解散した。この手ぬるい対応によって各国は余力を残し後の第二次対仏大同盟に繋がるのだが、エリック帝は這う這うの体でパリに帰ると入院を余儀なくされた。 画像の説明 第二次対仏大同盟プラハのフリードリヒ=アウグストはボヘミアの防衛をシュヴェリーン公やザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ家のハインリヒ大公らに任せ、トラキア・ローマ帝国首都アンドロニコポリスへ向かった。フランスが速攻し損ねたことにより、トラキアはレグルス戦争のダメージから立ち直る時間を得ており、イタリア征服の野望のため、皇帝ユリウスは第二次対仏大同盟の盟主となることを受諾しフランスへ宣戦布告した。この頃フランスはエリック帝が痔の悪化のため床に臥せっており、政権は皇太子クリスチャンが摂政として担っていた。彼は不在がちな父に代わり母マリー・ド・スミトラントの影響を強く受けた親スミトラント派であり、軍事行動に消極的だった。そのため反仏諸国はこれを好機と再び立ち上がり、対仏大同盟にこぞって参加した。失地回復を望むモレラ共和国も参戦し、アナトリアへ侵攻した。アストリアの同盟国安勢国も参戦した。前回の敗戦をうけてライン同盟諸侯は日和りフランスに付いたため、クリスチャンは彼らの軍をライン方面軍の傘下に加え、さらにハインリヒ10世のスミトラント王国とボヘミアを望むポーランドのプジェミスル朝と同盟を結んだ。ドイツ方面は安泰と判断したクリスチャンは主力をザーティエラ攻略へ向け、ロンバルド軍とイタリア方面軍とでトラキアへの対処は充分と判断した。 画像の説明 ドイツ戦線ボヘミア攻撃の隙を衝いてブレーメンの市民がフランスに反乱を起こし、アストリアの援軍と共に市を占領した。これを奪還せんとライン方面軍のウールップ元帥は市を包囲し、安勢軍が市の援護のためシュターデに上陸し迫った。ウールップはヘッセン公を司令官とするライン同盟諸侯軍を率いる、イェリング朝の親戚でもあるオルデンブルク公爵クリストファにこれの対処を命じ自身は包囲に当たったが、寄せ集めの彼らはロクに連携できず安勢軍はこれを易々と撃破し包囲軍の側面を衝いたため、ウールップはハノーファーへ撤退した。アストリア=安勢連合軍はハンブルクを占領した。その後もライン戦線ではライン同盟諸侯が各地で敗れたり降伏したり裏切ったりと散々で、ウールップ元帥やライン方面軍に転属となった小ジデンローヴ将軍らが駆けずり回りなんとか戦線を維持した。これは諸侯の無能というよりは、単にフランス嫌いでやる気がなかったためであった。さらに、この隙を衝きプラハのフリードリヒ=アウグストがベルリンへ進軍した。ハインリヒはスミトラント軍を率い阻止に向かったが、スミトラント兵はこぞって攻撃を拒否し投降した。そのためライン方面軍へ応援を求めるためベルリンへ戻ったハインリヒだが、市民に捕まり市庁舎の窓から投げ落とされ重傷を負った。ベルリンは無血開城しフリードリヒ=アウグストはベルリンへ帰還を果たしスミトラント王に返り咲いた。スミトラント=アストリア=安勢連合軍は合流し、フランス軍の小ジデンローヴ将軍の守るライプツィヒを奪還のため攻撃した。この戦いは三日三晩続いた。その間にアストリア軍の分隊がマクデブルクを占領したため、劣勢のジデンローヴはハノーファーとの連絡が脅かされることを恐れエアフルトへ後退した。連合軍は遂にフランス軍をスミトラント領からたたき出すことに成功した。ポーランド軍はポニャトフスキ将軍の下でトルトノフの戦いでシュヴェリーン公を破りボヘミアへ侵入したが、オーストリア軍がスロバキアから進軍しクラクフを包囲すると、後退してフシャヌフでオーストリア軍と戦った。この戦いは長期戦となったが、ポーランド騎兵がヴィスワ川を迂回しオーストリア軍の補給線を脅かすと、オーストリア軍はスロバキアへ後退した。 画像の説明 イベリア戦線こうしたドイツでの劣勢の報を受けてなお、イベリア戦線で指揮を執る皇太子クリスチャンは主力を戻すことをためらった。ザーティエラとの争点であるバスク地方は未だ国民に人気のあるソフィア先王が暗殺され、第三次欧州大戦を経て父帝が奪還した、いわば聖地であった。ここを皇帝代理の立場で失えば、支持を失うことは明らかだった。大陸軍は速攻でザーティエラを倒すべく、ピレネーの東西から大軍で進行した。マドリード、サラゴサ、バルセロナを占領し、首都バレンシアへ迫る作戦であった。マルシアル元帥はサラゴサ攻略の命を受け進軍した。サラゴサでは第二王子ピエールが防衛を固めていたが、マルシアルの偽装退却に釣られて打って出たところを撃破されてしまった。マルシアルはサラゴサに入ろうとしたが、軍無き後でも、市民が守備隊を編成し、防衛設備を引き継ぎ抵抗した。激闘の末マルシアルはサラゴサを陥落させ、報復として町を破壊した。その後、クリスチャンが数にものを言わせブルゴスを占領すると、功名心のためバルセロナに入り軍に口出ししていたテネリフェ公はビビッて後退を命じたため、デレッセル元帥は苦も無くバルセロナを占領した。00月、ブルゴスのクリスチャンとサラゴサのマルシアルが動き出した。これにより目標が連携によるマドリード攻略と判断したザーティエラ軍は、大軍を集結させた。これの指揮官に王太子フェルナンドが任ぜられたが、フェルナンドは防衛より各個撃破をめざし打って出た。ブルゴスからサラゴサへの伝令は全て山中でザーティエラ軍によってとらえられており、サラゴサのマルシアルへ偽の伝令書を送っており、両軍の連携を破壊していたためである。そうとも知らず愚直に街道沿いを南下したクリスチャンがロソヤ川を渡河しようとしたところを襲撃し、ブイトラゴ デル・ロソヤの戦いが起こった。大軍の猛攻撃にクリスチャンはびっくりして落馬し、川に落ち溺れてしまった。命からがら救出されたが意識不明で、補佐に付いていたリュッシュモン元帥は代わって撤退を指示し自身の率いる師団で殿を務めた。この戦いでなんとかクリスチャンはフェルナンドの追撃を逃れブルゴスへ下がったが、リュッシュモンは重傷を負い後送された。フェルナンドは急いで引き返し、グアダラハラでマルシアルと激突した。クリスチャンの援軍が来ると信じていたマルシアルは頑強に抵抗し、フェルナンドの軍も大きな損害を出し自身も右腕を負傷したが、遂にマルシアルがブイトラゴ デル・ロソヤの戦いの顛末を知ると後退した。一連の勝利でザーティエラ人は活気づき、バスクで分離派の大反乱が発生した。 イベリア北部でシェラルド軍を迎え撃つザーティエラ軍砲兵 イベリア戦線その②イストリアの戦いでフランス・イタリア方面軍が壊滅したとの報が届くと、ザーティエラはトラキア軍との連携のためジェノヴァへ上陸し、これを占領した。クリスチャンはやむを得ずデレッセル元帥にバルセロナを放棄させ本土への後退を命じた。さらにパリで王妃マリー・ド・スミトラントと外務大臣プラティエ、そして弟シャルルが共謀したクーデター計画の噂が持ち上がると、クリスチャンは慌ててパリへ帰還し、大陸軍はマルシアル元帥に預けられた。マルシアルはサラゴサを放棄、後退し、バスクの叛徒を鎮圧した。その間にザーティエラ軍はジブラルタルのフランス軍を追い出し、サルデーニャ、コルシカをも占領した。クーデターの実態は、ブイトラゴ デル・ロソヤの戦いの敗北に尾ひれがつき、クリスチャン戦死の噂が流れたために、マリーが弟シャルルを傀儡にたて、スミトラントに有利な講和を勝手に結ぼうとした、とのものであった。クリスチャンはマリーを逮捕したが、母に死を利用されたショックで疑心暗鬼に陥り、プラティエを解任し、勝手に担ぎ上げられただけのシャルルもパリから遠ざけるため、新規編成された軍の司令官に付けドイツへ送り出した。他国との交渉役であったプラティエが更迭され、後任には強硬派のモンディエール侯爵が就いたことで、フランスはさらに孤立を深めた。 画像の説明 イタリア戦線トラキア軍はオーストリア軍と連携し、イストリアからトリエステ、ゴリツィア両市の占領を目指し侵攻し、これをロシェシュタール元帥率いるイタリア方面軍とロンバルド王国軍とが迎え撃っていた。ヴィパーヴァ川の両岸を進軍するトラキア=オーストリア連合軍に対し、モンブラン准将の軽騎兵が奇襲しオーストリア軍をリュブリャナへ後退させたため、ロシェシュタールはシチリア戦争の反省を鑑み沿岸線の確保へ前進し、イストリア半島を占領した。しかし、孤立したリュシマクス司令官麾下のトラキア軍はあえて前進しトリエステを攻撃し、守備に付いていたヴェネツィア軍をオピチーナの戦いで撃破し、市内へ逃げ込んだヴェネツィア軍を包囲した。ロシェシュタールはゴリツィアのロンバルド軍に応援を要請したが、フランス人指揮官のイブレ将軍は部下の元holynation人に暗殺され、親仏のロンバルド兵は虐殺されゴリツィアはHN派に占領された(ゴリツィアの反乱)。イタリア方面軍は孤立してしまった。ロシェシュタールは包囲を突破しトリエステを目指すべく、パジンから後退しコペルの戦いでトラキア軍を破ったが、たどり着いたトリエステは既に陥落しており、市壁から砲撃を受けると士気が崩壊し潰走が始まった。一部の将兵は逃れたものの、ロシェシュタール含む大多数が捕虜となる大敗北となった。トラキア軍はヴェネトへ進出した。イタリア方面軍の後任司令官アルシュペール将軍は北イタリア中から兵を集め、トラキア軍を食い止めんとパドヴァに集結した。しかし、トラキア艦隊がヴェネツィアに入り援軍を送り込みトラキア・イタリア遠征軍が大軍となると、ビビッて後退した。フランスはスイスからフロー師団を増援に送った。両軍はヴェローナで合流する手筈であったが、オーストリア軍がトレント方面から南下していた。アルシュペールは各個撃破のためほぼ全軍で北上したが、ブレンティーノの戦いはオーストリア軍が勝利した。敗走したフランス軍はヴェローナで立て直しを図るもトラキア軍の大軍にボコボコにされた。ヴェローナを放棄し敗走した兵のうち、アルシュペール麾下2万がマントヴァへ逃げ込んだ。他のブリエ師団、カファエッリ師団なども撃破されフランス方面へ敗走し、リュシマクスはマントヴァを包囲した。このころザーティエラ軍はジェノヴァを占領し、オーストリア軍はロンバルドの首都ミラノを占領した。トラキア軍は難攻不落のマントヴァを無視し進軍、ボローニャを占領した。その後、ザーティエラ軍との合流を目指しジェノヴァへ進軍した。 画像の説明 イタリア戦線その②ジェノヴァ奪還のため、フランスから援軍が送られた。この師団の指揮官は、ミュルーズの戦いで小ジデンローヴ将軍の下で旅団を指揮し名を上げたルイ・ナポレオン・ド・バルニエ・ボナパルト将軍であった。彼は低地戦争の引き金となったルーデヴェイク・ヴァン・バルニエ・ボナパルトの弟であり、もともと軍人だったが、一家がヴァルキアから追放された際にフランス軍に入隊し名もフランス風に改めていた。ボナパルトはジェノヴァの攻略を命じられ、これを包囲していたが、トラキア軍先遣隊が迫ると包囲を解き、アレッサンドリアの戦いでこれを速攻で撃破し、返す刀でジェノヴァを飛び出し背後に迫るザーティエラ軍も撃破した。オーストリア軍もトルトナにいたが、トラキア、オーストリア間はイタリアへの領土的野心から潜在的対立があり、オーストリア軍はトラキア軍の応援要請を無視した。クリスチャンは久々の勝利に喜んでボナパルトをアルシュペールの後任としてイタリア方面軍司令官に任命すると、彼はミラノへ退却したオーストリア軍撃破のため、ポー川の下流へ機動し背後を衝こうとした。これに気づいたオーストリア軍は渡河地点ピアツェンツアでイタリア方面軍を攻撃したが一歩遅く、反撃と迂回部隊の側面攻撃を受けて敗走した。退路を脅かされたオーストリア軍はミラノから後退し、イタリア方面軍はミラノを奪還した。ボナパルトは続いてマントヴァを解囲せんと攻撃したが、中にいるフランス軍を出すわけにはいかないと包囲中のトラキア軍は必死に抵抗した。するとボナパルトはあっさりとマントヴァから手を引き北方へ迂回、ミンチョ川を越えトラキア軍の補給拠点ヴェローナを攻撃、これを攻略した。トラキア軍は電撃戦に対応できず、マントヴァの軍は逆包囲され降伏した。マントヴァは解放され、餓死寸前だったフランス軍は救出された。アレッサンドリアの戦い後にボローニャへ後退したトラキア軍はローマ進軍を計画していたが、ヴェローナ、マントヴァを失い本土との連絡線が断たれたためリュシマクスには後退命令が下り、パドヴァで軍を再編した。トラキア、オーストリア連合軍は数の上ではフランス軍を圧倒していたが、なまじ緒戦で大勝してしまったことで、北イタリア一帯が草刈り場と化したために両者の領土的野心が対立し、連携がとれなくなっていた。そのためにボナパルトの各個撃破による反撃を許してしまった。このころフランクフルトの戦いで同盟軍が敗れたため、オーストリア戦線を守りやすいトレントまで下げ、主力をドイツ戦線へ移動させた。ボナパルトはアルシュペールと共に各地で戦勝を重ねていった。 画像の説明 ギリシャ、アナトリア戦線制海権を握るモレラ軍はあっさりとレスボス島を占領した。モレラ共和国とアナトリア王国は共にレグルス戦争で最もダメージを受けた国だが、モレラでは占領後も残存軍人主体で組織的なレジスタンス活動が行われ、戦後も軍隊の再建が比較的早かった。モレラはメガリ・イデアを掲げアナトリア再征服を目指しボスポラスを越えた。しかし、山沿いに防衛線を構築したアナトリア軍の前にモレラ軍は苦戦し、前線は少しずつしか進まなかった。苦戦したモレラはクリミア戦争で奪った黒海油田を譲渡することでクリミアの凸合衆国を参戦させた。凸軍は前線の後方へ強襲上陸を成功させ、アナトリア軍は慌てて後退した。モレラ軍はイズミト、サカリヤを占領したが、アナトリア軍がフィッツカラルド元帥によって立て直されると、反撃を受けサカリヤ川で戦線は停滞した。 ホバークラフトでアナトリアに上陸する凸軍 ドイツ戦線その③ドイツ戦線では、仏ライン方面軍とポーランド軍が連携しベルリンを攻撃しようとしたが、ポーランド軍はフランクフルト・デア・オーデルの戦いで食い止められた。マクデブルクで反撃を受けたライン方面軍もハノーファーへ戻った。スミトラント王フリードリヒ=アウグストはボヘミア軍を率い西進し、ニュルンベルクの戦いでライン同盟軍を撃破し降伏させた。続いてエアフルトの小ジデンローヴ将軍を攻撃したが、小ジデンローヴは寡兵ながら持ちこたえ、フリードリヒ=アウグストは右腕ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公ハインリヒに包囲を命じ、目標を変えフランクフルトを攻撃した。ハノーファーのライン方面軍とウールップ元帥は、北のハンブルクで増強したアストリア=安勢軍の対応のため動けず、小ジデンローヴもエアフルトの戦いのダメージの回復に時間を要した。また、中立を宣言していたヴァルキア王国が、フランスがバルニエ弟を将軍にしたことに反発し、アストリアへ通行権を与えた。これによりアストリア軍がネーデルラントに上陸し、ライン沿いに進軍、デュッセルドルフを占領した。ドイツのフランス軍は大包囲寸前だった。パリで再編された大陸軍を率い、シャルルが出立した。この際、オルレアン公の地位が与えられている。ザーティエラ戦線はバスク防衛に専念し縮小され、イベリア方面軍の指揮はデレッセル元帥が執り、余剰人員はマルシアル元帥と共にドイツへ回された。シャルルはフランクフルトの解放に向かいライン川を越え、00日、フリードリヒ=アウグスト指揮下のボヘミア=アストリア連合軍とフランクフルトの戦いが始まった。シャルル率いる右翼軍は新兵中心だが数は多く、少数精鋭のボヘミア軍へ波状攻撃をかけ疲弊させた。フリードリヒ=アウグストの要請で左翼のアストリア軍は前進し、マイン川で包囲を狙ったが、こちらを支えるマルシアル軍団は古参兵揃いで攻撃を凌ぎアストリア軍を後退させた。ここで右翼で戦っていたシャルルが重騎兵を率い反転し、後退中のアストリア戦列の隙へ突撃するとこれが成功し、アストリア軍は大きく後退した。さらに先月にイタリアでオーストリア軍と戦ったフロー師団が強行軍で引き返し、マイン川の対岸へ迫っていることを知ると、フリードリヒ=アウグストは全軍に撤退を命じた。フランス騎兵は追撃戦で大いに戦果をあげた。 画像の説明 和平へボナパルト指揮下のフランス・イタリア方面軍がトリエステ、ゴリツィア両市を奪還すると、トラキア帝国は緒戦での戦果の喪失、さらに本土へ迫られたことで、レグルス戦争の後遺症を残しての戦争に国民の理解が得られなくなり、リュシマクス司令官に命じフランスとの和平を図った。トラキア特使はトリエステでボナパルト司令官と接触し、トリエステ条約を結び戦争から離脱した。この条約でトラキアは北イタリアから撤退し、さらにスロヴェニア、イストリア半島がフランスに帰属すると、ボナパルト将軍は国民的英雄として称えられた。モレラ共和国もまた、トラキアの離脱と立て直したアナトリア軍の反撃によって離脱に同調した。第二次対仏大同盟を主導したトラキアが屈したことで同盟は崩壊した。トラキアの離脱でオーストリアはイタリアのフランス軍とポーランド軍とに挟撃されることとなり、ポーランド軍の全面攻勢に対し、フリードリヒ=アウグストはボヘミア防衛のためプラハへ戻った。この際、先のフランクフルトの戦いで戦線を支え切れず先に後退したアストリアに不信感を抱き、連絡せずに撤退したために、ドイツに取り残されたアストリアは怒って安勢軍と共に帰ってしまった。フランス・ライン方面軍にとって千載一遇の機会であったが、クリスチャンはシャルルにこれ以上戦果をあげさせ人気を奪われることを恐れ、進軍を許さなかった。また、長く戦場となった北ドイツ諸侯は疲弊しきっており、宗主国フランスへ繰り返し停戦要請していたことで、クリスチャンは各国と休戦交渉を行った。対ザーティエラにおいて、プラティエの助言に基づきバスクの返還による和平を模索した。これはザーティエラのジェノヴァ占領の際、同時にクラフタリア領サルデーニャが占領されており、クラフタリアより両国へ和平の圧力がかかっていたことも原因であった。ザーティエラはバスクの返還及びサルデーニャ、コルシカからの撤退で合意し、両国はサッサリ条約を締結し和平を結んだ。残る国家も戦争に疲れ、休戦交渉に応じた。これらはフランス領ラインラントの主要都市ケルンにて、ケルンの和約として合意された。強制徴募法も撤廃された。 画像の説明 戦間期ケルンの和約後も、ドイツ統一を大願とするスミトラントのフリードリヒ=アウグストは対仏戦の再開を模索した。000年、スウェーデン王太子が第一次対仏大同盟戦争で戦死し、スウェーデン王カールは嫡子なきまま高齢となっていた。そこでカールは次期国王にスミトラントのフリードリヒ=アウグストを指名した。近縁であったことは勿論のこと、カールはフリードリヒ=アウグストとプラハの密約締結時に交流し、その人柄を非情に気に入っていた。フリードリヒ=アウグストはこれを受け入れ、ストックホルム条約を締結した。これにより両国は同盟を締結し、フリードリヒ=アウグストはスウェーデン王太子となった。フランスやポーランドは反対したが、どこもすぐに戦争を再開できる余裕はなかった。フランスでは、シュレースヴィヒ、バスクでの妥協は国民に大いに不興を買い、エリックは政権への不満をそらすため、大々的にスミトラント批判キャンペーンを行った。その一環でスミトラント人の間で主流である異端プロテスタントとその保護者フリードリヒ=アウグストを主的し、リヨンの勅令を定めフランスや西ドイツ、イタリアなど支配域からプロテスタントを追放した。これによってフランスの少なくない学者や資本家などがスミトラント領へ流れ、フランスは弱体化した。また、戦況的には優勢にも関わらず敗戦同然の和約を結んだクリスチャンは人気が地に落ちており、逆にフランクフルトの勝利を齎したシャルルこそ皇太子に相応しいという論調が立っていた。000年にエリック帝が痔の悪化に伴う熱病から回復すると、サッサリ条約に非情に不満を持ち、プラティエを解任するとザーティエラに対しバスクの際割譲を要求した。ザーティエラはこれを拒否し、戦争止む無しの姿勢を見せた。このころ、ペルシア戦争が勃発すると、フランスはペルシア側に立って参戦し、バスクへ侵攻した。ただし、この時点ではあくまでペルシア戦争の一戦線と見られ、戦争疲弊の抜けない反仏諸国は動かなかった。それでもエリックは反仏諸国の参戦を警戒し、多くの兵をフランスに残さざるを得なかった。 画像の説明 ペルシア戦争とフランス=ザーティエラ開戦エリック帝が痔の悪化に伴う熱病から回復すると、サッサリ条約に非情に不満を持ち、プラティエを解任するとザーティエラに対しバスクの際割譲を要求した。ザーティエラはこれを拒否し、戦争止む無しの姿勢を見せた。このころ、ペルシア戦争が勃発すると、フランスはペルシア側に立って参戦し、バスクへ侵攻した。ただし、この時点ではあくまでペルシア戦争の一戦線と見られ、戦争疲弊の抜けない反仏諸国は動かなかった。それでもエリックは反仏諸国の参戦を警戒し、多くの兵をフランスに残さざるを得なかった。フランス軍はピトリアの戦い等緒戦の決戦では勝利を重ねたが、剣俊なイベリア戦線の維持には兵が足りず、ザーティエラが決戦を避けるようになると戦果が上がらなくなり、泥沼へ陥った。 画像の説明 ナポリ継承問題と第三次対仏大同盟-年、ナポリ王マクシミリアーノが死去し、嫡子がなかったため、ナポリ王位は空位となった。マクシミリアーノはもとはフランスの騎兵元帥マクシミリアン・メーレンカンプであり、戦功の褒美としての王位であった。そのため、エリック帝は死後のナポリ王位は親族に与えるつもりであり、クリスチャンや釈放された王妃マリー・スミトラントらの推薦でオルレアン公シャルルを据えようと考えていた。推薦はシャルルをパリから遠ざけるためのものであったが、イタリア支配を強化したいエリック帝の意向にもかなうものであった。しかし、ここで帝国諸侯のひとつ、マルタ島辺境伯から待ったがかかった。マルタ島辺境伯領はもともとイタリア全土を支配していたholynationの亡命政権であり、半島戦争、シチリア戦争を経て半島の全領土を喪失してからマルタ島に逃れ、フランスと和解してからは帝国諸侯のひとつとなっていた。この和解はフランスとトラキアがアフリカ植民地で争ったチャド戦争に際し、マルタ騎士の援軍を得るかわりに結ばれたものであり、その際「継承者の絶えたイタリア諸侯領に対し、マルタ島辺境伯の継承に便宜を与える」という取り決めが交わされており、辺境伯テオドラはこれを引き合いに出しナポリ王位を要求した。しかし、エリック帝は対トラキアの最前線となるナポリを渡すことを渋り、代わりとしてロンバルド王冠領内のトスカーナ公爵領を与えることにした。テオドラは表向きこの提案を承諾し、トスカーナ公国首都フィレンツェに入り戴冠した。しかし、このとき既にテオドラはトラキアとマルタ条約という密約を結んでいた。これはトラキアがマルタ辺境伯のholynation旧領の再征服を全面的に支援し、フランスがイタリア戦争に係りきりになっている間にアナトリアを再征服しようというものであった。フランスの主力部隊がスペイン戦線で泥沼に嵌っているこの隙を逃す手はなかった。エリック帝はスペイン戦線を離れ、ミラノのロンバルド王宮でトスカーナ=マルタ公となったテオドラへ改めて臣従礼を求めたが、テオドラはこれを拒否しholynationの復活を宣言、トラキア、モレラと同盟した。さらに第三次対仏大同盟の結成を宣言すると、これ幸いとスミトラント=ボヘミアが参加し、アストリアと安勢も加盟を表明し、第二次対仏大同盟のそれと同様の構図となったことで、ふたたびの国土の荒廃を恐れたライン同盟諸侯もこぞって反仏に転じた。瞬く間に結成された包囲網に、エリック帝はたまげたという。トスカーナ=マルタはフランスへ宣戦布告し、第三次対仏大同盟戦争が始まった。 画像の説明 ドイツ戦線エリック帝は未だ旗色を明らかにしないライン同盟諸侯を牽制するため、ライン方面軍司令官ウールップに中部ドイツへの進出を命じ、ウールップはカッセルに進出した。スミトラント軍とアストリア軍は、これを撃破すべくカッセルへ連合軍を集結させ、カッセルの戦いが起こった。両軍の合流にはフルダ川を越えなければならず、各個撃破を企図しウールップは主力を連れシュタウフェンベルクでスミトラント=ボヘミア軍と接敵し、小ジデンローヴ将軍が寡兵でフェルマーでアストリア軍と対峙した。シュタウフェンベルクの戦闘ではウールップ軍の猛攻撃に晒されたスミトラント軍は一時敗北手前まで追い込まれたが、フリードリヒ=アウグスト自ら前線に立ち兵を鼓舞しなんとか持ちこたえ、戦闘は長期戦となった。速攻が挫かれ、寡兵の小ジデンローヴ軍が追い込まれていくと、ウールップは焦りジデンローヴの下へ援軍を割いた。その日の戦闘は日暮れにより休止となったが、これにより両戦線で劣勢となってしまったライン方面軍は、夜のうちにカッセルを放棄しフランクフルトへ後退しなければならなかった。その後、連合軍はフランスに付いたバイエルンの軍をエルヒンゲンで撃破した。これを受けてオーストリア帝国が大同盟へ参加し、フランスへ宣戦布告した。カッセルの決着がついたころ、エリック帝は親衛軍団と予備軍とでドイツへ進軍した。エリックは北のスミトラント=アストリアと南のトラキア=モレラ=マルタが連携しようとする動きを阻害するため、中間地点となるオーストリアが戦争準備を完了する前に撃破しようと、気づかれないようスイスから強行軍で進軍した。フランス軍はオーストリア軍の一軍を第二次インスブルックの戦いで撃破し、主力の集結していたザルツブルクを包囲すると、オーストリア軍は降伏し休戦を結んだ。フランス軍はその後、オーストリアの降伏を知らず、合流しようとしていた○○司令官指揮下のトラキア=モレラドイツ遠征軍を目指した。この軍はグラーツで小休止していたが、大陸軍の最先鋒としてアルプスを駆け抜けたマルシアル軍団、ウダンクール軍団、ボナパルト軍団らに包囲され、戦闘準備もままならないままに戦闘が始まった。さらに後続のエリック帝の主軍やオリオール軍団、ブランシェ軍団らが到着すると、遂に敗走した。大陸軍は踵を返しリンツでドイツ連合軍と接敵すると、こんどは正面から大軍で圧倒し撃破した。連合軍はフランス騎兵の追撃を受け大損害を出しながら敗走し、エリック帝はドイツへ進軍した。北からはポーランド軍がオストラバの戦いでスミトラント=オーストリア連合軍の大軍をフサリアの重騎兵突撃で破った。ポーランド軍はプラハへ進軍、占領し、遅れてエリック帝率いるフランス軍もプラハへ入った。ポーランド王○○はボヘミア王位を宣言した。トラキアは仏と休戦した。 画像の説明 イタリア、アナトリア戦線トスカーナ=マルタ軍はナポリへ進軍し、ナポリ市民はフランスからの解放者となるテオドラを歓迎した。イタリア方面軍軍を任せられたオルレアン公シャルルはナポリ奪還のため教皇庁に通行権を要求したが、教皇クレメンスはシチリア戦争のときのように教皇領が戦火に包まれることを恐れ拒否し、フランス、大同盟双方に対し中立を宣言した。そのためナポリ全土にholynation旗が掲げられるのに時間はかからなかった。一方でトスカーナはイタリア方面軍の攻撃に晒さえた。テオドラはトラキア軍、オーストリア軍に応援を要請したが、彼らはオーストリアでの戦いでフランス軍に敗れ後退しており応援は不可能だった。holynation軍はピサでザーティエラからの援軍を得たが、イタリア方面軍と激突したルッカの戦いでは、それでも数的不利であった。シャルル率いるイタリア方面軍のサルキオ川渡河攻撃は熾烈を極めたが、士気高いマルタ騎士を主力とするholynation軍はよく粘った。しかし同時に攻撃を受けていた、ザーティエラ軍が籠っていたリボルノ、ビアレッジョ両港の戦いでイタリア方面軍が勝利した。両港はザーティエラ海軍に守られており、最初の攻撃は艦隊の支援で跳ね返したものの、翌日は嵐となり、大雨の中フランス軍の夜襲を受け敗走した。退路が失われたことでルッカ戦線のザーティエラ軍はパニックとなり、混乱の中でイタリア方面軍の総攻撃をうけ、遂に戦線は崩れた。イタリア方面軍はトスカーナ首都フィレンツェ含む全土を占領し、holynation軍はナポリへ逃れた。アナトリアではフィッツカラルド元帥がロシア遠征のため本国に召還されたこと、ペルシア戦争のために戦力が割かれていたことでモレラの攻勢を防ぎきれなくなり、遂にサカリヤ川防衛線の突破を許した。しかし、イズミル大公率いるアナトリア軍との間にビレジクの戦いが起こると、これにアナトリア軍が勝利し、モレラ=凸軍をふたたびサカリヤ川防衛線まで押し戻した。 画像の説明 ロシア遠征フランス軍はスミトラントへ侵攻し、ベルリンを占領した。フリードリヒ=アウグストは本土決戦を覚悟したが、このときスウェーデン王が崩御した。そのためスウェーデン政府の誘いもあり、フリードリヒ=アウグストは本土決戦をせずに、アストリア海軍の支援でスミトラント軍を連れてスウェーデンへ後退し、ストックホルムでスウェーデン王として戴冠した。追撃に失敗したエリックは第一次対仏大同盟のときのようにデンマークからスウェーデンへ侵攻しようとしたが、制海権は強力なアストリア海軍が握っており、前回のように海峡が凍結する可能性は少なかった。フランスはドイツ、イタリアと陸戦で圧勝したにも関わらず、泥沼のスペイン戦線での疲弊やアストリア、ザーティエラ、スウェーデン海軍らの攻撃で苦しめられていた。第一次対仏大同盟戦争から続く海上封鎖もフランス経済を深刻な不況へと陥れており、エリック帝は一刻も早い戦争終結のため、ふたたびの野戦での大勝利、そしてスウェーデンへ逃れたフリードリヒ=アウグストを屈服させる必要があった。000年、エリック帝はスウェーデン遠征を決意した。海峡を通れないのであれば、ロシアから陸路でスウェーデンを攻めようというものであった。エリック帝はユークバニア連邦、シランナ民主共和国らに通行権と遠征への支援を求めたが、両国は拒否した。かつて中華社会主義共和国連邦を消滅させ安全保障体制を崩壊させたフランスは仇敵であった。しかし後に引けなくなっていたエリックは遠征を強行した。先ず占領下にあったスミトラントで再び傀儡王ハインリヒを即位させ同盟を結ぶと、フランス、ライン同盟諸侯、イタリア等各地で徴兵を行い、ドレスデンに大軍を集結させた。ロシア遠征軍である。圧倒的大軍であって進軍すれば、ロシア諸国は逆らえずフランス連合軍の通行を黙認するだろうという考えであった。遠征軍は先ずワルシャワに入り、同盟国ポーランドの軍を加えミンスクへ向かった。ロシア諸国の脅威にさらされているヴィリニュス大公国はフランス連合軍を歓迎し、同盟を結び遠征軍へ加わった。際限なく膨らみあがった大軍は補給線を圧迫していった。ちなみに、月ノ谷に関しては、ペルシア戦争では共闘関係にあったため、フランスへの宣戦は形式的なものであり戦闘には参加しなかった。 画像の説明 ロシア遠征その②フランス連合軍はスモレンスクへ進軍した。ロシア連合軍総司令官○○はこの大軍に恐れ慄き勝手に後退してしまい、スモレンスクはなんなく陥落した。これに気をよくしたエリックは軍を二手に分け、一方をサンクトペテルブルク方面のプスコフへ、自身はモスクワへ進軍した。エリックの望みはスウェーデンへの道の安全であり、これを飲ませる程度であれば、野戦で1,2度勝利すれば叶うと考えていた。しかしロシア連合軍総司令官○○はフランス軍のドイツ、イタリアでの戦いから学び、退却に退却を重ね決戦を避け続けた。しかし、この姿勢が大統領ラーチンに敗北主義的と批判され更迭されると、変わって司令官に就いた○○はモスクワへの途上、ヴァジマで決戦を挑んだ。ヴァジマの戦いでは、ロシア連合軍を逃がしたくないエリックはポーランド軍、リトアニア軍とヴァジマを包囲するように機動しようと計画した。しかし、ドイツよりはるかに広く、さらにコサックの奇襲が絶えないロシアの無限荒野では離れた各軍の連携が取れなかった。エリック率いるフランス軍はカイダコヴォでロシア軍を撃破し気をよくし、ポーランド軍に撤退したロシア軍の追撃を命令した。しかし、これはロシア軍の分隊のひとつに過ぎなかった。ボロジノで接敵したポーランド軍はロシア軍の主力と対峙してしまい、両軍の激闘は凄惨なものとなった。援軍要請を出したリトアニア軍も到着時間が大幅に遅れ、ポーランド軍は辛うじて虎の子のフサリアを突撃させることでなんとかロシア軍を撤退させたものの、被害はむしろ多かった。フランス連合軍はヴァジマで合流したが既にロシア軍は撤退済みであり、エリックはボロジノの激闘を知らないままポーランド軍司令官ポニャトフスキ将軍へ苦言を呈した。これによりフランス、ポーランド両国の関係は決裂してしまう。ポーランド軍は帰国してしまい、ヴィリニュス軍も続いて離脱し、ただでさえ落伍兵、脱走兵が続出していた連合軍は大きく数を減らしてしまった。 画像の説明 ロシア遠征その③ポーランド、リトアニア軍が離脱してなお、エリックは自身の野戦の才能があればロシアを倒せると考えていた。フランス軍はモスクワへ向け進軍した。シランナ領へ侵攻したシェイフスキ元帥の軍は同盟国ローゼノワール王国の軍と合流しプスコフを攻め、これを攻略したとの報が届いたことも追い風と考えた。一方でユークバニア軍は司令官○○が返り咲き総指揮を執った。フランス軍はいよいよモスクワへ迫り、慎重派の○○も後へは引けなかった。両軍はドロホヴォで激突した。このときエリックはふたたび痔が悪化し、何の作戦もなく正面攻撃を命じ、指揮も冴えなかった。ユークバニア軍は急ごしらえの堡塁からフランス軍を砲撃し死体の山を築く。一方でフランス軍もまた、ウールップ、フィッツカラルド、昇進した小ジデンローヴといった元帥たちの現場でのふんばりでいくつかの堡塁を奪っていった。フランス軍最大の誤算は王太子ベリー公クリスチャンの率いる軍団が動かなかったことだった。彼は歴戦の元帥たちと異なり、総司令官エリックの指示なしには動けなかった。フランス軍は次第に劣勢に追い込まれていったが、日が暮れたためこの日の戦闘は終了した。この戦いではユークバニア軍も相当大きな被害が出ており、司令官○○は夜間のうちに後退した。フランス軍はドロホヴォを占領し軍を再編すると、モスクワへ進軍した。ユークバニア軍と政府は戦略的なモスクワ放棄を選択し、あらゆる住民、食料、資本と共に後退した。エリックは遂にモスクワを占領したが、ユークバニア政府は当然和平の使節を送り返し、エリックの望むような結果とはならなかった。フランス軍はドロホヴォの消耗からユークバニア軍を追撃できず、エリック自身も痔を癒すためにモスクワへ留まらざるを得なかった。次第にロシアへ厳しい冬が訪れた。エリックとフランス軍は冬のロシアの真ん中、モスクワへ閉じ込められてしまう形となってしまった。シェイフスキ元帥麾下のフランス軍とローゼノワール軍は共同でサンクトペテルブルクを包囲していた。しかし、制海権のないフランス軍と海上補給を受けられるサンクトペテルブルク市とでは、どちらが包囲されているのかわからないような消耗差であった。それでも市はフランス=ローゼノワール軍の砲撃によりダメージを受けていたが、そんな中で冬が到来した。シェイフスキはエリック帝の指示を仰ごうとしたが、伝令はすべてコサックの餌食となるか一面の銀世界で方向感覚を失い迷子になり凍死するかで、連絡は取れなかった。シェイフスキは撤退か冬営かの選択を迫られたが、皇帝の勝利を信じ冬営に入り、包囲を継続した。 画像の説明 ロシア遠征その④エリックは再三ロシア連合各国政府へ和平交渉を行ったが、成果は上がらず時間だけが過ぎていった。いよいよ冬の到来が本格化すると、補給線は無いも同然となってしまい、北のシェイフスキ、ローゼノワール軍とも連絡が取れなくなっていた。エリックは止む無く撤退判断を下した。フランス軍がモスクワを出て退却を開始すると、ユークバニア軍の猛反撃が始まった。ドホロヴォ、ヴァジマなども既にユークバニア軍の手によって奪回されており、フランス軍は道なき道を村々を焼き払い略奪しながら退却する羽目になった。ときおり会戦になればフランス軍は奮闘したものの、補給線は寸断され、寒さと飢えで戦死者よりはるかに多くの落伍兵を出していった。もはやロシア遠征軍は存在しないも同然だった。フランス軍は這う這うの体でスモレンスクへたどり着いた。中でもフランス軍の最後尾で退却したフィッツカラルド元帥の部隊はユークバニア軍の最も激しい追撃を受け、殆ど本隊と連絡がとれなかったが、元帥がスモレンスクに現れると、エリックは彼を勇者の中の勇者と称えた。エリックはスモレンスクの守備にオリオール元帥を残し、ヴィリニュス大公国へ後退した。オリオール元帥は親衛隊出身で、忠誠心を代われ元帥に叙されたが、指揮官としての能力は殆どなかった。スモレンスクは陥落し守備隊は玉砕した。フランス軍はヴィリニュス、ポーランド領内は無事に退却することができたが、ドレスデンへ戻るころには、ドイツ、イタリアは再び敵まみれの状況となっていた。フランス軍ロシアで大敗の報は瞬く間に欧州を駆け巡り、かつての対仏大同盟諸国はこぞってフランスへ宣戦布告していた。スウェーデンのフリードリヒ=アウグストもスウェーデン軍を連れスミトラントへ上陸し、フランスの傀儡王ハインリヒを再び窓外投擲しベルリンへ入城していた。ドレスデンはボナパルト将軍が守っており、そこから睨みを効かせることで辛うじてライン同盟諸侯の離反を防いでいたが、スミトラントが奪回されたことで、これも怪しくなっていた。000年、エリック帝とロシア遠征軍はドレスデンへ帰還し、拠点をよりドイツ中心部に近いライプツィヒへ移した。 画像の説明 ドイツ戦線その②第四次対仏大同盟が結成され、大同盟は周辺国の囲い込みに動いた。ポーランド=ボヘミア王国では王朝がボヘミア貴族のプジェミスル朝に代わり、新王は没落したフランスを見限り大同盟と交渉し、同盟へ加わることでボヘミア=ポーランド同君連合を認めさせた。スミトラント王フリードリヒ=アウグストは抗議したが、スウェーデン王位の証人で手打ちした。ローゼノワール、ヴィリニュスらもロシアの脅威から身を護るために鞍替えし、サンクトペテルブルクに取り残されたシェイフスキはロシア連合軍に包囲され、突撃し玉砕した。残るフランス軍は投降した。000年、アストリア軍がノルマンディーに上陸した。これはパリ周辺の軍をかき集めヴァロニューの戦いで撃退したが、こんどはバルニエ家の扱いから対立していたヴァルキア王国がついにフランスを見限り、中立を宣言しつつ大同盟へ通行権を与えた。アストリア軍がネーデルラントに上陸すると、フランス本土は大いに脅かされた。エリックはフランスへの退却も考慮したが、そうするとライン同盟諸侯まで敵に回り、さらにイタリア方面とドイツ方面の敵の合流を許してしまうため躊躇い、ずるずるとライプツィヒで時間を浪費した。時折会戦での勝利を求め出撃したが、大同盟諸国は決戦を避け退避してしまい、そうした無駄な時間の間に大同盟諸国は戦争準備を整え、ロシアや東欧の軍もドイツに到着してしまった。ライプツィヒの戦いは、第四次欧州大戦で最大規模のものとなった。アストリア=安勢、ロシア連合、オーストリア、スミトラント軍は合流し大軍となり、ライプツィヒのフランス軍を攻撃し奪回しようとした。エリックは防衛戦の経験は殆ど無く、指揮に精彩を欠いた。それでも歴戦の元帥たち、古参兵たちが戦線を押し返し、一時は大軍でもって押しても崩れないフランス軍の精強ぶりに連合軍首脳陣が恐慌に陥りかけるほどだった。しかしライン同盟諸侯各軍の戦闘拒否が続出するようになると戦列が崩れ始め、フランス軍のブランシェ元帥がスミトラント軍へ裏切ったことで趨勢が決した。フランス軍はエアフルトへ総退却を開始した。連合軍はエルスター川を越えて追撃の部隊を出したが、これは殿のフィッツカラルド元帥の奮戦で食い止められ、フランス軍は退却した。エリックは遂にラインの向こうへの退却を決意した。途中裏切ったライン同盟軍とオーストリア軍とがアイゼナハで立ち塞がったが、この戦いはフランス軍が勝利した。 画像の説明 イタリア戦線イタリアへはholynation、オーストリア、トラキアらが侵攻し、フランス親王オルレアン公シャルルと戦った。オーストリアとトラキアは再びヴェローナで合流しようとし、これを防ぐためシャルルはミラノを出立した。シャルルは山道を南下するオーストリア軍の行軍速度は遅いと判断し先にトラキア軍を強襲した。フランス軍とトラキア軍はビチェンツァの戦いで衝突し、フランス軍が勝利しトラキア軍をブレンタ川の向こうへ追いやった。しかし、オーストリア軍は○○大公の下フランス軍の背後を猛追しており、進軍速度を見誤ったシャルルはスキオで不利な地形でオーストリア軍と戦い、これに敗れヴェローナへ後退した。 画像の説明 フランス戦線エリックはパリに帰還すると、ザーティエラとバスクを巡り続いていた戦争の和平を行った。ペルシア戦争での敗戦もあり、フランスはバスクを返還した。これによりスペイン戦線で戦っていた大陸軍の主力を引き上げさせると、追加徴兵法も制定し、軍隊を再建し前線へ向かった。ライン戦線では小ジデンローヴ元帥の守るハンブルクがスミトラント軍の包囲によって降伏し捕虜となった。マインツでもオーストリア軍の包囲戦で、高齢の指揮官リュッシュモン元帥が疫病で死亡し、残る軍も降伏した。スミトラント、オーストリア、ロシア連合軍はライン川を越えフランス領ラインラントへ侵攻した。アストリア=安勢国はヴァルキアでドイツ方面の戦線の押し上げを待っていたが、ザーティエラ=フランス間の和平により主力が戻ってきたことを知ると、アムステルダムを包囲し、アムステルダム条約を締結しヴァルキアを強制的に大同盟へ加入させた。大同盟軍は各地からフランス本土に侵攻した。エリックは大陸軍を率い各地を転戦し、会戦となれば勝利することができた。しかし他戦線の対処のため追撃が行えず、戦果が上がらなかった。さらに、主力のいない戦線では大同盟軍が勝利を重ね、いよいよアミアン、ランスが陥落した。脅威がパリに迫ると、市民は恐慌に陥った。エリックは混乱を鎮め、さらに徴兵するために一度パリへ帰還した。しかし、チュルイリーで追加徴兵法の発布を宣言しようとしたところ、王太子ベリー公クリスチャンが軍隊と共に現れ、エリックを捕縛した。クリスチャンと王妃マリー・スミトラントによるクーデターだった。クリスチャンは軍事的失敗から自身の立場が危ういと疑心暗鬼になっており、母マリーと和解し保身工作を図っていた。政権を掌握すると大同盟諸国に対し降伏を宣言した。長引く戦争に疲れていた市民は終戦を求めていたし、それは皇帝に心酔していたはずの軍隊も同じだった。前線で戦う元帥たちも不満こそ持てど、抵抗する気力は残っていなかった。連合軍はパリへ入城し、講和会議がウィーンで開催された。フランスからは復帰したプラティエが出席した。 画像の説明 ウィーン会議と戦争の再開ようやく開催されたウィーン会議だが、参加国は昼にはそれぞれ利権の確保に執心し、夜には連日舞踏会を開催し、といった具合で、「会議は踊る、されど進まず」と形容した。特にドイツでのオーストリア、スミトラントの対立やイタリアでのオーストリア、トラキア、holynationらの対立は深刻だった。会議が踊っていた頃、エリックの身柄がベルリンへ移送されることとなった。しかし、この途中でフランスのマルシアル元帥が皇帝親衛隊を率い護送隊を襲撃し身柄を奪取した。会議中の連合国は慌てて追っ手を派遣したが捕まらず、遂にエリックはザーティエラへ逃れた。このニュースはフランス全土に伝わり、フランス国民はエリックの帰還を望むようになった。というのも、このころには戦争疲弊も忘れ、日に日に伝わるウィーン会議での屈辱的なフランス敗戦条約に対する不満が高まっており、それは連合国の言いなりである国王クリスチャンへの不満でもあった。000年、エリックは親衛隊と共にパリへ進軍した。クリスチャンは連合国の要請で討伐軍を送ったが、彼らは行く先々でエリックに忠誠を誓い、パリに着くころには大軍となっていた。クリスチャンは慌ててフランスから逃げ出した。エリックはフランス王に返り咲くと、戦争の再開を宣言しザーティエラと同盟を締結した。ザーティエラはペルシア戦争の和平条約によってバスクを奪還したことで領土対立が解消されており、大西洋への野心のため、フランスを大陸の番犬としようと考えた。さらにエリックがトスカーナを差し出すと、これを受け入れた。ミラノのシャルルもこれを聞くと戦争を再開した。 画像の説明 第五次対仏大同盟連合国はただちに第五次対仏大同盟を結成したが、エリックは再び連携を取られる前に各個撃破しようと各地の連合軍へ襲い掛かった。アミアンの戦いでアストリア軍を撃破し、イタリアのシャルルはholynation軍をトルトナの戦いで撃破した。アストリア軍はシャルルロアに後退し、ヴァルキア軍、フランス領ラインラントを占領しているスミトラント軍と合流しようとした。この連携を阻止したいエリックは北進しアストリア軍へ攻撃をしかけ、ワーテルローの戦いが起こった。アストリア軍は粘りを見せ、スミトラント軍の到着まで耐え抜いたことで戦況が逆転し、フランス軍はあわや敗戦の瀬戸際となったが、ザーティエラ軍の援軍の到着により持ち直すと再逆転しこの戦いを制した。イタリア戦線ではウィーン会議での相互不信から連合軍は連携が取れず、シャルルのフランス軍相手に敗戦を重ねた。アナトリアではモレラはレ戦から続く戦争疲弊により戦線の維持に留めたが、ペルシア戦争の集結によって月ノ谷が対仏本格参戦した。月ノ谷はクリミア戦争の反省から、アルメニアに社会主義政権を樹立させるという手段をとり、保護の名目でアルメニアを占領した。アナトリアはなんとか余力をひねり出しアルメニアへ侵攻、月谷軍を攻撃したが、これを止める余力は残されていなかった。フランス軍の巻き返しによって、大同盟の首脳部や国民はいよいよ第二次のときのように優勢が無に帰す、ないし負けてしまうのではないかという恐怖に駆られた。ローマ教皇庁はフランスの弱体化によりholynation、トラキア・ローマらが伸長すれば、自身の立場が危うくなると和平の仲裁へ乗り出した。さらに、大同盟側では自身の利益とならないことでロシア連合が派兵を拒否したことで、再びのフランス本土侵攻の目途が立たなくなった。また、チェキアはウィーン会議後の強大化したスミトラントやオーストリアからボヘミアを守るため、水面下でフランスとの同盟を模索した。これらの動きにより、継続していたウィーン会議後の面々では妥協的な和平を目指す動きが出始めていた。フランス=ザーティエラ連合軍では、エリックは再び各個撃破により戦争に勝利しようとフランクフルト攻撃を志向したが、ザーティエラはフランス優位の和平以上は求めておらず、自身の利益の確保のためトスカーナへ上陸し、holynation軍を破りこれを占領した。結局フランス軍は単独でフランクフルトを攻撃したが、スミトラント=オーストリア連合軍がこれと戦い、粘り切りフランス軍は後退した。 画像の説明 フリードリヒ=アウグスト0月、いよいよフランスへ妥協的な内容で纏められたウィーン議定書が完成間近となったが、これをスミトラント=スウェーデン王フリードリヒ=アウグスト4世だけは強硬に否定し続けた。既にフランス、大同盟双陣営が戦争疲弊の限界に達しており、各国首脳はフリードリヒ=アウグストへ妥協を求めた。しかし、彼自身は先のフランクフルトの戦いで手ごたえを感じていた。スミトラント=スウェーデン軍は続く大同盟戦争の中で、それ以前の欧州大戦で、何度も何度もフランス軍に辛酸を嘗めさせられたことで多くの経験を積んでいた。フランス軍を裏切ったヴァルダン元帥によって齎された情報もあり、最早フリードリヒ=アウグストはフランス軍の戦術を、指揮官エリックの性格を誰よりも深く理解していた人物であった。フリードリヒ=アウグストがウィーン会議の流れを変えるためには、決戦が必要であった。しかし、それはまたフランスのエリックも逆転をかけ望んでいたことであり、連合軍首脳は敗北を恐れ受け入れなかった。そんな折、デュイスブルクでザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公の軍がフランスのウールップ元帥の軍と交戦し、これに勝利しライン川を越えた。この勝利で連合軍首脳の気持ちは揺らぎ、フリードリヒ=アウグストは決戦のチャンスを手に入れた。このときアストリア軍はベルギーのハッセルトにおり、挟撃を恐れたウールップは後退した。フリードリヒ=アウグストはスミトラント=スウェーデン軍を率いケルンからライン川を越え、エリックもこれを受け大陸軍を率いルクセンブルクから北上した。両軍の合流にはアストリア軍がマース川を越える必要があり、これを睨めるようフランス軍はアーヘンへ入った。これに対しスミトラント=スウェーデン軍は近郊のブラウシュタイン湖と土手沿いに砲列を並べ、デュルヴィス村役場を本営とし前方に戦列を築いた。指揮はフリードリヒ=アウグスト自身だ。フランス軍はアーヘンに小ジデンローヴ元帥の部隊を残しアストリアへの備えとし、残る主力軍をこちらもエリック自身が率いスミトラント軍に対峙した。 画像の説明 アーヘンの戦い0日、日の出と共に両軍の砲声が轟いた。戦場はアーヘン近郊。このときフランス領でありエクス・ラ・シャペルと呼ばれていたこの地で、かつて名だたる皇帝が戴冠を行ったこの地で、大聖堂に見降ろされながら、両軍は激突した。緒戦、フランス軍のフランス軍の弾幕の前に、左翼のザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公麾下のスミトラント軍は圧されかけた。エリックは好機とみてモンブラン将軍の騎兵を突撃させたが、フリードリヒ=アウグストは控えていたスウェーデン選抜歩兵を送りだし撃退、この突撃は失敗に終わった。ここでフリードリヒ=アウグストは自ら騎兵を率いフランス軍左翼へ逆襲をかけた。これは挑発でありすぐに下がったが、エリックは挑発にのり左翼のウールップ軍を大きく押し出す。しかしこの正面には土手沿いにスミトラント軍の放列があり、この攻撃でフランス軍左翼は大きく損害を出し後退した。スミトラント=スウェーデン軍右翼はシュヴェリーン公の元逆襲し、正午にはヴァルデン村を奪取したが、エリックは古参親衛隊を送り出し村を奪い返す。この攻防は一進一退で続いた。日が傾いたころ、アーヘンでフランス軍とアストリア軍の戦闘が始まった。この音を聞いたエリックは勝利を急ぎ、敵左翼へ総攻撃をかけた。ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公の軍はデュイスブルクの戦いから連戦であり、緒戦で押されたこともあって疲労の限界にあり、この攻勢の前に大きく戦列が崩れた。さらにエリックは自ら騎兵の先頭に立ち突撃を敢行し、戦列は分断されてしまった。戦列内にはパニックが蔓延したが、フリードリヒ=アウグストは残る予備軍全てを投入し、自ら部隊の戦闘で、3発の銃弾を浴びながらも鼓舞し続けた。さらに緒戦で敵を叩いたことで余力のできた右翼から砲を回すと、今度はエリックが負傷したことで攻撃の勢いは止み、スミトラント軍は紙一重でデュルヴィス村で踏みとどまった。この突撃に失敗し、日も暮れたことでエリックは撤退を考えた。しかし、スミトラント軍の反撃の中で鬼気迫る表情のフリードリヒ=アウグストと目が合い、自ら決戦を選んでまで自身へ追いすがった宿敵へのプライドから踏みとどまってしまったという。また、「モンカリオリでヴィットリオは逃げなかった!」と叫んだとも伝わる。日が沈む直前、フランス騎兵は最後の突撃を敢行した。スミトラント軍も最後の力を振り絞りこれに対応した。 画像の説明 アーヘンの戦いその②このとき、村の教会の尖塔に遮られ、予定より早く日が隠れた。この隙にフリードリヒ=アウグストはスミトラント騎兵を南の森から敵側面へ滑り込ませ、暗闇のなかこれに気づくのが遅れたフランス軍右翼の新兵がパニックに陥った。さらにこの前で戦っていた騎兵へ伝播すると、エリックはこれに気を取られ、その隙にスミトラント兵の銃剣により騎馬が転倒、エリックも落馬し頭を打ち気絶した。エリックは辛うじて親衛隊のアティサーリ将軍に拾われたが、遂にフランス軍は全面敗走へ陥った。力を出し切り追撃の余力はなかったが、フリードリヒ=アウグストとスミトラント=スウェーデン軍は、遂に決戦での勝利を手にした。敗走したフランス軍はアーヘンへ逃げ込んだ。ヴァルキアは敵に回り、南からは戦いの顛末を聞きつけたオーストリア軍がフランクフルトからラインを越え北上していたため、他に逃げ道がなかった。エリックは目を覚ました時には包囲下にあった。エリックは経戦を主張したが、アーヘンの戦いでの敗北を聞いたフランス国民は冷めてしまっていた。連合軍首脳は再びクリスチャンを王に戻すことを望んだが、逃げ出した彼もまた国民に望まれておらず、プラティエは帰還が決まる前に戦争終盤を通してパリ司令官となっていたボナパルト将軍と組みクーデターを決行、全権を掌握して連合軍へ降伏した。パリの降伏を知ったエリックは遂に諦め投降し、スミトラント軍の捕虜となった。フリードリヒ=アウグストとスミトラント軍は、連合軍で一番にパリへ入った。彼らが最初に向かったのは、エリックによって廃位されて以降、余勢をフランスで過ごし戦中に病没していた、父の墓であった。戦勝報告を済ませると、遺体をベルリンへと運ばせた。 画像の説明 終戦と講和 ウィーン会議と終戦再開されたウィーン会議は暫く踊っていたが、ローマ教皇庁の仲介もあってようやく収束へ向かった。ドイツ地域については、スミトラントとオーストリアはそれぞれドイツ地域の利権を要求したが、スミトラント=スウェーデンによる統一ドイツはチェキアやローゼノワール、またフランスに依存する教皇庁が否定した。とはいえ戦争に最も貢献したスミトラントは、フランス領シュレースヴィヒの奪還とフランス領ラインラントを獲得し、残るライン=アルギニア同盟諸侯は緩衝地帯として中立国とされた。また、オーストリアは南チロルを獲得し、神聖ローマ帝国の帝位がハプスブルク家の下に帰ることとなった。イタリアについては、マルタ辺境伯のナポリ王位が承認され、トスカーナがザーティエラへ、ヴェネト地方がトラキアへ割譲された。holynationはトスカーナを要求したが、協議の末代わりとしてボローニャがフランスから割譲された。ロンバルディアはフランスへ併合された。アナトリアはモレラが占領したサカリヤ川以西がモレラに割譲され、約束どおりモレラの黒海油田のいくつかが凸合衆国へ譲渡された。アルメニア社会主義共和国は独立が承認され、後に月ノ谷連邦への加盟を宣言し月ノ谷連邦共和国内の自治共和国となった。こうして講和内容はウィーン議定書として纏められ、長年に渡った対仏大同盟戦争、すなわち第四次欧州大戦は終戦した。戦後、フランスの権威の衰退と共に、フランスの傀儡としての姿勢を批判された教皇クレメンスは廃位され、変わって親オーストリアの教皇○○が即位した。フランスではエリックの次男オルレアン公シャルルがシャルル12世として即位し、外務大臣プラティエ、陸軍大臣ボナパルトらの下で荒廃したフランスの復興に努めた。その最中でフランス、アナトリア、hnらは神聖ローマ帝国を離脱した。オーストリアはこれを批判しかつての大同盟諸国に呼び掛けたが、どこも再び戦争を始める気力は無かった。エリックの身柄は今度ばかりは厳重に管理され、スウェーデン王国のゴットランド島へ島流しとなった。エリックは修復された城塞の一区画で従者と共に暮らし、回顧録や兵法書の口述筆記に励んだ後、痔の悪化により2年後に死去した。フランスでは新たにシャルル王が誕生した。 画像の説明 影響 戦後の外交情勢フランス中心の統一欧州の時代は終焉を迎え、第二次欧州大戦以前の対立の時代へと、再び回帰した。スミトラント=スウェーデン王フリードリヒ=アウグストは、大戦を通じ二度ベルリンを追われながらも屈せず、遂にフランスを打倒したことでその名声を高めた。スウェーデンとの連合、フランス領ラインラントの獲得などで国力も高まったが、それは同時に周辺国の警戒を招いた。特に隣国チェキア=ポーランド王国は、チェキア王冠領を狙うスミトラント、オーストリアへの対抗のためフランスと同盟を結んだ。オーストリアのハプスブルク家は、悲願である神聖ローマ帝位の奪還を成し遂げた。しかし、依然イタリアはフランスやトラキアらの手にあり、ドイツも異端スミトラントが権勢を誇っている。チェキアの奪回、大ハンガリー領の回収などその領土的野心は東欧に向き、それはスミトラント、プジェミスル朝、トラキアらとの対立を意味する。またフランスは相変わらず歴史的ライバルであり、敵に囲まれている状態である。欧州において誰と手を組むのかが課題と言える。ロシア諸国は東欧戦争のリベンジを果たし、領土的拡張はなかったが存在感を高めた。これはローゼノワール、ヴィリニュスといった東欧国家群が警戒を強める結果となっただろう。トラキアはイタリアに新たな領土を獲得し、少しずつではあるがローマの再興へ近づいている。しかし、フランスとザーティエラとの連合は、地中海の支配において強力なライバルとなるだろう。モレラは失地を回復し、その後アナトリア半島への進出を達成した。黒海海峡の両岸の支配は経済的繁栄を齎すが、同時に非情に守りにくい土地を抱えてしまった。アナトリア王国の再征服侵攻にどう対処するかが課題だ。アナトリアはレグルス戦争の後遺症を最も深刻に引きずる国のひとつでありながら、フランスの戦争に巻き込まれる形で戦争を続けた。その結果が領土の喪失であったことで、フランスへの従属的な連合の存続へ疑義が持ち上がった。そこへフランスを追われた元王太子クリスチャンが、フランスの足を引っ張りたいアストリアの伝手で亡命し、アナトリア貴族は彼をアナトリア王として支持し独立を求めた。シャルルはこれを否定し僭称者討伐へ派兵、アナトリア独立戦争が始まった。これによってフランスが多忙となった隙を衝き、ナポリのholynationは悲願のローマ奪還へ向け動き出す… 画像の説明 関連項目 ● ページ名● ページ名 参考文献 ● ページ名● ページ名
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神州皇国 外交用案内ページ 八百万神を敬い、古神皇を尊守せよ 神道と大海の織り成す神州。我が神州皇国へようこそ! 訪問者 - 人 ~ 神州皇国速報 最近のニュース 海軍技術工廠が、初めて海軍艦艇へ先進砲システムを搭載。 技術工廠によると、先月開催された、陸海空合同兵器商談会において、他国の砲製造技術、主にシステム面が、我が国に比べてはるかに進歩していることを実感したという。技術工廠はこの深刻な現状を受け止め、海軍全艦艇の先進砲システム開発計画をスタートさせた。今回搭載された艦艇と先進砲システムは、その計画の始めの一歩である、とのこと。 今回搭載された、「一等駆逐艦用三年式12.7cm先進砲システム甲型」は陽炎型駆逐艦などの一等駆逐艦に搭載する目的で開発された、わが国初の次世代型先進砲システムである。 先進砲システム開発にあたっては、主にシュヴァイン帝国の先進艦砲を参考に、自動注排水装置の搭載、増多弾頭化…(専門的なことはともかく)などの先進システムが内蔵されてた連装砲塔となっている。 先進砲システムを搭載した駆逐艦萩風。新型艦砲搭載に当たって、船体のバージョンアップもされている。(よりディテールを細かくした…)先進艦砲は技術面で新技術が取り入られているにも関わらず、よりコンパクト外見となっている。 更新前の陽炎型駆逐艦。見比べてみると、あらゆる面が更新、改善されたのがわかる。(全体的にチープ) 過去の出来事 +... 海軍技術研究本部および関連重工業社が、潜水艦の輸出解禁を発表。 政府および海軍は、このたび同盟国並びに、潜水艦ノウハウを持たない途上国に対し、潜水艦の輸出を発表した。 輸出される潜水艦は、「丁型潜水艦(潜輸大型)」という潜水艦の輸出型で、基本的に攻撃的兵装を持たない輸送艦艇であると海軍関係者は話した。海軍ではこの丁型潜水艦は「伊号三六一型」と呼ばれている。 海軍で運用中の伊号第三六五潜。 全長79B 全幅9B 兵装 FC速射砲 1基 FC機銃 2基 特型運貨船 一艇 搭載能力 艦外20t 艦内65t 重点 クラフティア独立国家連合王国へ向け、条約締結後初の神州郵船貨物船出港。 神州皇国はこのたび、クラフティア独立国家連合王国との貿易協定に基づき、初めて神州郵船の大型貨物船による貿易を開始した。下写真の貨物船の名前は「くらふてあ丸」である。 わが国からは主に天然ゴムなどが輸出され、カカオなどといったものが主に輸入される。 周辺海域はいまだ海賊(TYON艦)の出没が多発し、お世辞にも民間船舶が安全に航行できるとはいいがたいのが現状である。 ゆえに、貿易船出向に伴い、海軍が護衛として艦艇の派遣を発表した。むろん、護衛が行われるのは我が国周辺海域のみである。 左奥、皇国海軍軍艦「陽炎」中央奥、貨物船「くらふてあ丸」右、同海軍軍艦「不知火」 皇国海軍が潜水艦内部を初公開! このたび記者団に対して、皇国海軍潜水艦「伊之507号」内部が初公開された。 魚雷発射管室、艦後部に搭載されている〝特殊潜”などの機密の多い箇所を除いた限定的な公開となるが、 潜水艦の内部が公開されるのは極めて稀なことである。 発令所の様子、内部は狭く、床にはカーペットが敷き詰められ、壁には松明が隙間なく並んでいる。これが潜水艦に欠かせない防水装置なのだという。 このカーペットと松明の防水装置は、艦全体にいきわたっており、決して水を侵入させることはない。 魚雷発射管室上の通路の様子。 潜水艦潜航の様子を公開! HACエンジンが起動し、船が海中に没していく。HAC起動中にはこのように潜水艦内に水が入ってきているように見える。普通の船ならこれで室内が水で満たされ溺死してしまうが…。 HACが停止した。すると、隙間なく敷き詰められた松明とカーペットが水を押し出し、船内で溺死することはない。 レッドストーン電気回路もこれで防護され、水中でTNT兵器を自由に移動して使用することが可能なのだという。 以上が、公開された皇国海軍潜水艦の内部である。 狭い劣悪な環境の中で、今日もわれらメイド民族のために奮闘している海軍軍人がいることを決して忘れてはならない。 彼女らは二十四時間休むことなく、今、この時も神州の海を護り続けているのである。 重点 海軍史上最大の甲板面積を持つ軍艦「大神」が進水!! 全行程の八割を完了! 航空母艦「大神」は海軍の要求を満たす大型航空母艦として、前級の周防型を経て建造された大型空母である。 その甲板面積は、神州海軍史上最大、最新のスチームカタパルトとサイドエレベータ、アングルドデッキなどを搭載し、八十機以上の航空機を搭載することが可能だという。 「大神」という名前からして、わが国の威信と伝統を賭けた軍艦であり、古神皇の要望を経て甲板上には伝説の白狼の姿をした大神様の絵が、イッスン氏などをはじめとする一級絵師数十人の協力を以って描かれた。 完成の暁には、甲板に描かれた大神様の加護、そして熟練の乗組員と搭乗員によって、神州に平和をもたらすであろう。 重点 6/18 我が国に視察に訪れた外交官=サンが1000人を突破。 5/18重点 チョコ帝國との軍事同盟を締結な。 チョコ帝國は、ポケットエデイシヨン版において展開される新興国家である。 わが国としては、できる限りの支援と、友好を築き上げていきたい考えだ。 5/16重点:国営海運会社「神州郵船」が設立 神州郵船が保有する、豪華客船「神州丸」 シーレーン奪回に伴い、これまでに細々とあった数社の海運会社が統合、国営化され、我が国最大の海運会社がここに創立した。 「神州丸」と姉妹船の豪華客船三隻を保有し、大型貨物船四隻を保有している。 5/14新型砕氷艦「天草」就役 北方に位置する島国である我が国において、砕氷艦は非常に重要な存在である。「天草」は、最新の砕氷装置と小型艇を搭載し、軍民共用で活躍が期待される。南極観測の任務も行うこととなるだろう。 北海で公試航行する、砕氷艦「天草」。松明とグロウストーンの砕氷装置により、周りの氷が融けているのがわかる。 5/13神州大海神神社で例大祭が開催。 舞の奉納 我が国は四方が海に囲まれているため、遥か太古からわが国では海洋信仰も盛んである。神州大海神神社は神州大社とほぼ同規模の神社として、わが国の最重要文化財に指定されている。 神州大海神神社内に係留された、旧軍艦三笠記念艦が大盛況。 軍艦三笠とは? 軍艦三笠は、先の対TYON戦役時に勃発し、HACを持たない当時の神州皇国海軍が大敗北を喫した神州海海戦で唯一生き残った「幸運艦」である。先の大戦を戦い、戦没した英霊の御柱として、また、わが国最後のツェッペリンエンジン搭載艦艇として、神州大海神神社に奉納されている。 「重点」5/13日ノ本帝国連邦との軍事同盟を締結。 日ノ本帝國連邦は、エーベルハルト総統=サンが最高主導者を務める帝國主義、メガコーポ的国家である。 非常に強大な陸海空軍すべての軍事力、そして、帝國主義制度による、近代国家としての理想の形の整った、軍事大国であり、わが国としては実際頼もしい。 また、わが国内では「スゴイ日ノ本鉄十字」と愛称される、日ノ本帝國連邦旗のデザイン、またはその内に描かれている鉄十字デザインが「明らかにカッコイイ、実際スゴイ」と、話題となっており、近年の流行ファッションにもなっている。 重点な|4月30日 グリカニア王国と同盟締結| グリカニア王国はゲオルギウス二世国王を象徴とした、民主主義、立憲君主国家である。 強大な軍事力を保持しており「共産主義殺すべし、当然オヌシも殺す、インガオホー」というような内容のスローガンを掲げている。我が国としては実際頼もしい限りである。だが、国会内には共産党勢力もおり、国内では政治派党間でのごたつきがあるようだ。 また、神州大和帝國との同盟関係も強い、グリカニア王国との同盟で、三角形のような同盟関係が出来上がるのである。 神州大和帝國との同盟関係が深いゆえか、グリカニア王国には神州大和帝國の春画文化も少なからず浸透しており、「激しく前後する」などといったタイトルの春画が流行しているようだ。(我が国は備えよう) 重点4月29日 中南北雛島連邦と同盟条約締結。 中南北離島連邦は、アジア地域にある小さな島国である。わが国同様島国であるため、非常に大なる海軍戦力を有している。 同盟条約により、わが国は中南北離島連邦との集団的自衛権関係を締結される。 集団的自衛権とは、密接な関係の同盟国が攻撃を受けた場合、その国と同盟関係にある他国が参戦し、囲んで棒で叩くというインガオホーの理である。実際頼もしい。 4月27日 重点*神楽月共和国と友好条約締結 我が国はこのたび、神楽月共和国と友好条約を締結した。わが国からは、旧式ではあるが堅牢な設計の二等駆逐艦「樅」が友好、軍事同盟のあかしとして輸出された。 政府は、神楽月共和国との友好関係をこれからも深めていきたい考えを示した。今後も軍事関係での同盟関係が強化されてゆくだろう。 また、観光目的で我が国を訪れる神楽月共和国民が友好条約締結後から増加している。ユウジョウ! 重点*神州大和帝國との軍事同盟を締結 神楽月共和国との友好条約締結後、我が国は神州大和帝國の同盟申請に応じ、同国との軍事同盟を締結した。 神州大和帝國は陸海空軍ともに強大かつ最新鋭の軍備を保持しており、我が国の安全保障の重要な立ち位置となるだろう。 また、神州大和帝國は春画等のサブカルチャーが非常に発展しており、わが国に存在する春画その他グッズは、たいてい神州大和帝國より輸出されたものである。暗黒メガコーポではない。←重点な 4月25日 新型戦艦の公試運転を開始! 我が国は建国記念日に合わせ、新型銃装甲巡洋戦艦「八坂型」の弐番艦「八幡」の公試運転を開始した。八坂型巡洋戦艦は、「扶桑型」戦艦をしのぎ、わが国最大の戦艦となった戦艦で配備が待たれる。 神州皇国旗 旗の意味 鳥居はわが国神州が八百万神によって成り立っていることを表し、左右の「白」「黒」はそれぞれ「天」「地」を表し、天地が支えあって神州が成り立っていることを表している。 国家情報 国家 神州皇国 建国記念日 4月25日 元首 第108代古神皇 無何有之姫 神州大社巫女宮司 人口 893万人 国教 神道 国民 メイド民族 言語 日本語(先住メイド語)、忍殺語 バージョン 1.6.2 国家成立まで わが国は四方を海に囲まれた島国であり、小柄なメイド民族と呼ばれる特異な民族によって成り立っている。古の神話には、八百万の神がこの国を作ったと記されており、その国生みの神を祀る「神州大社」の宮司がこの国の元首となる。 だが、今から約五年前、謎の敵性テロリスト国家通称「TYON」による圧倒的技術力および生物兵器の侵略により、シーレーン封鎖という最悪の状況にわが国は陥った。その折開発された「HACエンジン」により技術的革新を果たし、新たな軍事技術によって「TYON」よりシーレーンの奪回を果たし、独立を回復した。 国家元首 我が国では代々神州大社宮司が世襲し国家元首となる。 写真は我が国の象徴的建造物にして、古神皇の住居でもある「神州大社」 政治体制 我が国の国家元首は神州大社宮司であるが、そのもとに内閣府が存在し、神州大社宮司を輔弼するという形で政治を行い、権力分立を果たしている。間接民主制による選挙により内閣大臣は選ばれる、民主主義国家である。 文化、風土 わが国では神道が国教として定められており、何事においても八百万神が尊重される。 神道には仏教やイスラーム、キリスト教のような教え、修行はないものの、我らメイド民族の精神として神道は教え、受け継がれ、尊重されている。 国内の宗教施設は神社、祠がほとんどだが、最近は他国との交流もあり、異文化理解のための他宗教施設の建設も検討されている。が、国内では「神道の自然尊重精神が侵される」と反発する国民の声も多い。それだけ神道が尊重されているのだ。 また、わが国は四方が海で囲まれた島国であるが故、造船業が盛んである。軍事力も海軍の予算が一番納入されている。 我が国は砂糖の輸出大国であり、国内の砂糖はほぼすべてが自国生産である。また、天然ゴム、羊毛、稲作などの生産も盛んだ。 軍備 皇国海軍 +... 我が国は四方が海に囲まれているため、外敵の侵略は常に海上からの進行が予想される。そのため皇国海軍は我が国で一番の軍事費用を使用し、軍備を整えている。 装備品 戦艦 +... 扶桑型戦艦 HACエンジンを搭載した、わが国初の超弩級戦艦。新型トロッコ砲による圧倒的火力と、HB装甲による防御を両立した、理想的な戦艦 35.6cm連装トロッコ砲 六基 個艦防空短SAM 十六基 三連装fc機関銃 6基 一番艦 扶桑 二番艦 山城 八坂型重装甲巡洋戦艦 我が国最大の戦艦、高い機動力と防御力、圧倒的弾薬投射量を誇る新鋭戦艦。また、砲塔の自動注水装置も実現した。 兵装 35.6cm三連装トロッコ砲 五基 RAM 四基 三連装fc機関砲 六基 一番艦 八坂 二番艦 八幡 一号艦 YA=MA=TO 航空母艦 +... 日向型二等空母 建造中であった戦艦二隻を急遽設計変更し、航空母艦とした型。艦首を完全に設計変更し、ハリケーンバウとなっている。 兵装艦戦8機、同補用3機、艦攻6機、同補用2機 CIWS 2基 艦戦 8機 同補用 3機 艦攻 6機 同補用 3機 一番艦 日向 二番艦 伊勢 周防型航空母艦 わが国最大の艦艇。あらゆる面で新技術および新設計が施されている。また、本型の「アングルド・デッキ」は非常に有用であると判断された。 兵装 艦戦 25機 同補用 3機 艦攻 29機 同補用 5機 一番艦 周防 二番艦 因幡 大神 巡洋艦 +... 村雨型軽巡洋艦 本来は艦隊防空用駆逐艦として設計がなされていたが、システムの大型化、および、対潜能力向上のための航空機搭載能力要求のため艦が肥大化し、軽巡洋艦へと設計変更された。そのため、艦名は駆逐艦の自然名称を用いている。 兵装 15.5cm単装トロッコ砲 1基 42式垂直発射機 32セル 48式垂直発射機 6セル 90式四連装対艦誘導弾 2基 対潜短魚雷 2基 fcCIWS 2基 艦載機 2基 一番艦 村雨 二番艦 春雨 三番艦 夕立 四番艦 霧雨 妙高型重巡洋艦 艦隊打撃能力を求めた、打撃重巡洋艦。とても安定したデザインで、防御力にやや難はあるものの非常に高い攻撃能力を誇る。 兵装 20.3cm連装トロッコ砲 5基 12.7cm連装高角トロッコ砲 4基 試製RAM 4基 93式四連装対艦誘導弾 4基 連装機銃 2基 艦載機 2基 一番艦 妙高 二番艦 那智 三番艦 足柄 四番艦 羽黒 八雲型重巡洋艦 村雨型軽巡洋艦の拡大発展型重巡洋艦。本型は村雨型のデータリンクシステムよりより強力な「八咫鏡防空システム」を搭載し、一艦で一艦隊の防空を受け持つことが可能となった。 兵装 20.3cm連装トロッコ砲 2基 42式垂直発射機 64セル 90式四連装対艦誘導弾 2基 CIWS 2基 艦載機 1基 一番艦 八雲 二番艦 吾妻 一等駆逐艦 +... 陽炎型 わが国で初めてHACエンジンを搭載し稼働した艦艇。TYONに対しての有効性が示されると、わが国での主力汎用艦として十九隻建造された. 停泊中の「雪風」「初風」「浜風」「磯風」 兵装 12.7cm連装トロッコ砲 2基 93式四連装対艦誘導弾 2基 対潜爆雷投下軌条 2基 三連装fc機銃 3基 試製RAM 2基 対潜短魚雷(掃海兼用) 二基 一番艦 陽炎 二番艦 不知火 三番艦 黒潮 四番艦 親潮 五番艦 早潮 六番艦 夏潮 七番艦 初風 八番艦 雪風 九番艦 天津風 十番艦 時津風 十一番艦 浦風 十二番艦 磯風 十三番艦 浜風 十四番艦 谷風 十五番艦 野分 十六番艦 嵐 十七番艦 萩風 十八番艦 舞風 十九番艦 秋雲 二等駆逐艦 その他小型戦闘艦 +... 早苗型駆逐艦 護衛用の二等駆逐艦 同型艦は四隻 兵装 12cmトロッコ単装砲 3基 90式連装対艦誘導弾 一基 一番艦 早苗 二番艦 稲穂 三番艦 実 四番艦 成実 樅型駆逐艦 旧型の二等駆逐艦。従来は一等駆逐艦とのハイ・ロー目的で運用されていたが、老化が顕著であり、徐々に早苗型へと代替されている。また、他国への輸出も行われている。 兵装 12cmトロッコ単装砲 三基 93式連装対艦誘導弾 二基 樅型二等駆逐艦輸出中! 我が国との友好のあかしに、輸入は下記からどうぞ。 橋立型砲艦 河川で活動中の砲艦「宇治」 河川や沿岸を防衛するための砲艦 兵装 12cmトロッコ連装砲 1基 12cmトロッコ単装砲 1基 連装fc機銃 2基 一番艦 橋立 二番艦 宇治 隼型誘導弾艇 一号型魚雷艇 潜水艦 +... ※甲型潜水艦 わが国の量産潜水艦。数の上での主力であるが、旧式であることが否めない。 設計的には非常に安定した巡洋潜水艦として完成している。 夜間浮上航行中の伊号第三十潜 潜航中の伊号第十九潜 水中魚雷発射装置 2基 FC速射砲 1基 搭載航空機 1機 丁型潜水艦 輸送に特化した潜水輸送艦。主だった武装はない。 特型運貨船一艇を艦外部に搭載可能で、陸軍水陸機動団の足掛かりともなる。 全長79B 全幅9B 兵装 FC速射砲 1基 FC機銃 2基 特型運貨船 一艇 搭載能力 艦外20t 艦内65t 丁型潜水艦輸出中! 我が国との友好のあかしに、輸入は下記からどうぞ。 潜特型潜水艦 航空機を搭載したわが国最大の戦略潜水艦。以下機密。 兵装 水中魚雷発射装置 2基 14cm単装砲 1基 搭載航空機 3機 同型3隻 潜戊型潜水艦 わが国の砲撃戦略型潜水艦。新型の水中探査装置及び特殊潜航艇を導入している。以下機密 兵装 水中魚雷発射装置 2基 旋回式水中魚雷発射装置 1基 20.3cm潜水トロッコ連装砲 1基 一番艦 伊-507 ※甲型潜水艦 わが国の量産潜水艦。数の上での主力であるが、旧式であることが否めない。画像なし。 三式特殊潜航艇 通称「式神」。小型の潜航艇で、ゲリラ的攻撃を行う特殊艇。 その他補助艦艇/非戦闘艦艇 +... 諏訪型水雷補給艦 駆逐艦や潜水艦に魚雷や食料等の補給を行い、外洋での活動時間を延長する。 兵装 12.7cm連装トロッコ高角砲 一基 一番艦 諏訪 天草型砕氷艦 南極観測も可能な中型砕氷艦。グロウストーンと松明による砕氷装置で、周囲の氷を完全に融かすことができる。 搭載機 カ号観測機一機 一番艦 天草 航洋直接教育艦「晴風」 海軍兵学校第一埠頭に係留された「晴風」 幻の陽炎型二十番館を改修して作られた、海軍兵学校実習用教材として使用されている教育艦である。 海軍兵学校の新入生はこの晴風で航海実習を行い、一人前の船乗りとして成長していく。 また、海軍兵学校を卒業する際にはこの晴風に乗り込み、最終航海実習を行う。 武装は施されているが、実戦用の陽炎型よりも古い兵装がほどこされ、基本的に模擬弾を搭載する。 兵装 12.7cm連装トロッコ砲 三基 四連装模擬魚雷発射管 二基 高速教育実習艇「スキッパー」 二艇 fc単装機銃 二挺 対潜爆雷投下軌条 二基 航空機 +... 零式艦上戦闘機 九七式艦上攻撃機 彗星艦上攻撃機 十七試艦上戦闘機 カ号観測機 零式水上観測機 九四式水上偵察機 二式大型飛行艇 二式水上戦闘機 強風水上戦闘機 皇国陸軍 +... わが国は領土が狭いため、諸島奪還作戦、あるいは本土上陸を想定した防衛作戦を想定してドクトリンを設定しており、陸軍はそのための必要最小限度の装備のみ保有している。 装備品 装甲車両 Lt7 六方形ダイヤモンド様 より輸入させていただいた、わが国の主力戦車である。わが国での愛称は「ユイ車」 Lt18 六方形ダイヤモンド様 より輸入させていただいた、わが国の兵員輸送、偵察、警戒先頭車。わが国での愛称は「タチ車」 高機動車 Lai1823 六方形ダイヤモンド様 より輸入させていただいた、高機動戦闘兵員輸送車。わが国での愛称は「旋風」 銃火器その他 八九式5.56mm自動小銃 六四式7.56mm自動小銃 H&K G3A3 7.56mm自動小銃 9mm拳銃 H&K USP拳銃 AT-4ランチャー M2重機関銃 44式メイド軍刀 38式スリケン 99式忍殺スリケン 空挺傘 皇国空軍 +... 陸軍航空隊規模拡大及び、航空機需要の増加から、陸海軍航空隊より派生し新設された、新しい軍隊である。まだ規模は小さく、これからの発展拡大が予想される。 戦闘機 戦闘機紫電改 一式戦闘機隼 二式戦闘機鐘馗 三式戦闘機飛燕(改) 四式戦闘機疾風 五式戦闘機 夜間戦闘機月光 彗星(夜間戦闘機) 零式練習機 配布 樅型二等駆逐艦 二等駆逐艦.schematic 輸出用の二等駆逐艦です。改造して貴国の戦力に加えても、標的艦にしてもかまいません。旧型のトロッコ砲を用いており、トロッコ砲の入門用にも最適です。 画像 +... 丁型潜水艦 丁型潜水艦輸出用.schematic 輸出用の輸送潜水艦です。潜水艦技術のノウハウ蓄積に役立てれば幸いです。改造して貴国の戦力に加えてもかまいません。 画像 +... 多目的連絡貨客船「折部丸」 折部丸.schematic 民間船舶に困っている方へどうぞ、配布しております。内装はほぼ無いそうです。 画像 +... 宜しければ輸入するときに一言いただけると幸いです。 テスト -- 投稿主 (2016-05-15 18 00 59) 貴国の樅型二等駆逐艦を輸入したいと考えているのですが、写真を見せていただけませんか?(jounoyuuki1222@yahoo.co.jpに送っていただければ幸いです。無理な場合、返信は不要です。ご迷惑おかけいたします。) -- J-王国 (2016-09-19 15 47 09) 日ノ本帝国連邦のものです。同盟は組んでいない気がするんですけど? -- 田中 (2018-07-31 16 44 12) 名前 コメント その他国営企業 +... 神州郵船 シーレーン奪回に伴い、これまでに細々とあった数社の海運会社が統合、国営化され成立した我が国最大の海運会社。 保有船舶 客船 神州丸 姉妹船 宮比丸 水分神丸 大型貨物船 尾道丸 姉妹船 だんぴあ丸 ぐりかにゃ丸 くらふてあ丸 所属・締結同盟 同盟国 神州大和帝國 中南北雛島連邦 グリカニア王国 日ノ本帝国連邦 チョコ帝國 「絶賛募集中です!」 友好国 神楽月共和国 貿易協定 クラフティア独立国家連合王国 警戒国 「敵性テロリスト国家 通称TYON」 コメント もっと見やすくなるように何かアドバイスいただければ幸いです。 -- 投稿主 (2016-04-24 23 54 53) 神楽月共和国です。良ければ我が国と友好条約を結んでいただけないでしょうか? -- asutako995 (2016-04-25 01 01 05) 「神楽月共和国」様。有難うございます。「喜んで」と申し上げさせていただきます! -- 投稿主 (2016-04-25 17 57 00) 神州大和帝國の響也という者です。 貴国と同盟を結ばせていただきたく参りました。 もし結んで頂けれるならば、内容等の詳細を決めていきたいのでSkype等の連絡手段があればいいのですが… -- kyouya (2016-04-25 20 20 20) ↑同盟申請感謝いたします。貴国との同盟を謹んで締結いたしますことを約束します。 -- 投稿主 (2016-04-25 20 53 28) ↑↑連絡手段ですか…私はSkypeなどはやっていないので悩みどころですね… -- 投稿主 (2016-04-25 20 54 18) それではTwitterかヤフーメールや、Gメール等のアドレスなどはお持ちでしょうか? -- kyouya (2016-04-25 21 18 48) まともな連絡手段はEメールか、あるいはこのコメント欄のみです…。申し訳ありません。 -- 投稿主 (2016-04-25 22 09 03) 神楽月共和国です、友好条約締結に感謝します。良ければ我が国との貿易などもご検討いただければ幸いです。 -- asutako995 (2016-04-25 23 08 41) 二等駆逐艦の輸出感謝します!我が国では海軍の艦艇不足が著しい為に非常に有り難いものです、簡単な形ではありますが感謝の意向を伝えます。 -- asutako995 (2016-04-25 23 14 22) レミニセンス共和国連邦です。ご建国おめでとうございます。貴国の繁栄を心よりお祈り申し上げます -- arumea (2016-04-26 02 08 02) 中南北雛島連邦です。同盟の件ですが、喜んで締結させていただきます。よろしくお願いします。 -- zazave (2016-04-29 16 59 25) グリカニア王国です。もしよろしければ我が国と同盟を結んでいただけないでしょうか -- Erwin (2016-04-29 18 53 22) 日ノ本帝国連邦の者です。同盟のお誘い、ありがとうございます。ぜひ結びましょう! -- yuyuyuuta (2016-05-13 19 05 28) g-mailアカウントを作成に成功致しました! -- 投稿主 (2016-05-15 20 48 27) チョコ帝国の者です コメント見させていただきました同盟の件よろしくお願いします -- tyoko21 (2016-05-18 16 48 31) こんにちは。「トライデント共和国連邦」の首相のレフとんぼともうします。この度、貴国と我が国で同盟を結んでいただきたくやって参りました。もっとも、ブロック兵器よりもMCヘリ兵器の多い貴国と方向性が違いますが・・・ -- レフとんぼ (2016-05-24 18 10 58) 途中切りすいません。 方向性は違いますが、よろしければ同盟結んで頂ければ幸いです。よろしければご一報頂きたいです・・・! -- レフとんぼ (2016-05-24 18 12 34) クラフティア独立国家連合王国の者です。お待たせ致しました。貿易の件を返信させて頂きましたので、お手数ですが確認の方をよろしくお願いします。 -- 塩犬 (2016-06-25 23 28 04) 名前 コメント
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北連-大匠戦争 北連-大匠戦争(ほくれん-だいしょうせんそう)は2018年の11月に始まったスィヴェールヌイ・サユーズと大クリーパー帝国との戦争である。 各国の略称 略称 国名 北連 スィヴェールヌイ・サユーズ 大匠 大クリーパー帝国 弓楽 弓楽国 はるこま はるこま帝国 トラキア トラキア・ローマ帝国 四葉 幸福四葉共和国連邦 同盟 スティーブ・クラフタリア同盟連邦 レグルス レグルス連合帝国 ヒトラント 大ヒトラント帝国 ルネサンス グロイツァー朝ルネサンス大公国 ラーブヌイ ラーブヌイ王国 大三本 大三本帝国 戦闘速報 12月10日18時 スィヴェールヌイ・サユーズと大クリーパー帝国との間で講和成立。 戦争は終結した 12月8日16時00分 はるこま軍の航空支援により停滞した戦線を打開すべくレグルス連合帝国陸軍ははるこま本土に上陸したソベリア共和国軍を支援するため正規歩兵3個師団を上陸させた。 ↑上陸する歩兵師団砲兵大隊 12月8日16時00分 ソベリア共和国国防軍がはるこま本土のスヴェンスク島へ上陸、戦闘が発生 既に兵1000名、将校二名が戦死 12月2日3時 バフィン島などの3か所に大クリーパー帝国軍が上陸 12月1日21時30分 大クリーパー帝国上陸部隊と北方連邦潜水艦 戦闘 今日、大匠と北連の初の戦闘があった 損害は不明 参戦国&支援国 北連陣営 北連 弓楽 四葉 同盟 レグルス 大三本 ルネサンス ラーブヌイ 大匠陣営 大匠 トラキア はるこま ヒトラント 戦争経過 11月29日 大クリーパー帝国がスィヴェールヌイ・サユーズに宣戦布告 12月1日 この日までに計13国が参戦 でもまだ戦闘は起こっていない 12月日 いつのまにか大匠軍が北連に上陸した 12月8日 ソベリア共和国国防軍がはるこま本土へ上陸、戦闘が発生 12月9日 ソベリア内戦によりソベリア共和国(国防軍臨時政府)が単独講和条約を締結
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モジャング王国 情報 国名モジャング王国 国首女王陛下 首都 ロンドン 略号SE 州 洲 州宮零烏(仮当て字) 国歌にゃにゃこぅ 通貨mjポンド(£) 人口約66000000人 総面積約1226055チャンクまたは313870km² 国際関係 戦争を自らしない王国である。 所属同盟 北欧連合(EZ) 同盟国 ヒィスノ連合帝国様
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国際親善試合は、世界中の国家、企業、組織が参加可能な平和的スポーツ外交の為の企画です! 運営 2023/4/10 計画開始 2023/5/14 Boomi球場プラットフォーム完成 会場 Bonomi球場プラットフォーム SSKK BONOMI^BASEBALL*STUDIUM建造・運用 試合情報 2023年5月中/統一暦173年中に開催の予定 西暦2023年5月20日、統一暦173年7月28日に第一回国際親善試合の開催が決定 第一回国際親善試合は延期が決定。開催日程は未定 参加組織 参加組織名 個人ページ名・リンク SUHA(旧SUSA)-リブレスタリ San-Serriffe連合 極東合衆国代表チーム 極東民主主義合衆国 ソビエトレッズ ソビエト共産主義共和国連邦 報道 報道局名 個人ページ名・リンク SSKK ゲパーテ放送SSKK Vajevaz World NewsSSKK サクランテレビSSKK セスタニム新聞 San-Serriffe連合 連邦ラジオ放送局連邦テレビジョン放送局連邦報知人民新報 ソビエト共産主義共和国連邦 上島放送 毎倉府帝国 スポンサー スポンサー名 個人ページ名・リンク SSKK クレッツェリンツォSSKK キヌステート・スポーツSSKK ヲンドル・グループSSKK BONOMI^AIR*LINESSKK エツィスィオStarRailSSKK Digital Pnopaticoオレンデグ財閥ゲパーテ財閥サクラン財閥 San-Serriffe連合 Beijing FarEast Heavy Industries 極東民主主義合衆国 Mesopotamia Workers Holdingsオリエント・インターナショナル・ホテル東方資源ホイットニー(株) ソビエト共産主義共和国連邦 西村重工(株) 毎倉府帝国 Browning Co. 瑞州合衆国連邦 参加申請他 名前 コメント すべてのコメントを見る